暗かった。薄寒いような風が、障子を開けた縁から吹いて来た。母親はそこにいろいろな物を引っ散らかしていた。
「日の暮れるまで何をしてるだか……。」と、父親は舌鼓《したうち》をして、煙管《きせる》を筒から抜いた。
「何かやり出せア、それに凝って、子供に飯食わすことも点火《ひとも》すことも忘れてしまっている。」
母親は急に出ていたものを引っ括《くる》めるようにして、「忘れているというでもないけれど、着せる先へ立って、揚げが短いなんて言うと困ると思って。」
六
丑年《うしどし》の母親は、しまいそうにしていた葛籠《つづら》の傍をまだもぞくさしていた。父親が二タ言三言|小言《こごと》を言うと、母親も口のなかでぶつくさ言い出した。きちんと坐り込んで莨を喫《す》っていた父親が、いきなり起ち上ると、子供の着物や母親の襦袢《じゅばん》のような物を、両手で掻《か》っ浚《さら》って、ジメジメした庭へ捏《つく》ねて投《ほう》り出した。庭には虫の鳴くのが聞えていた。
お庄が下駄を持って来て、それを縁側へ拾い揚げるころには、父親は箒《ほうき》を持ち出して、さッさと部屋を掃きはじめた。母親がしょうことなしに座を起《た》つと、子供も火鉢の側を離れてうろうろしていた。お庄は泣き出す小さい子を負《おぶ》い出すと、手に玉蜀黍を持って狭い庭をぶらぶらしながら家の様子を見ていた。父と母とは台所で別々のことを働きながら言い合っていた。
お庄は薄暗い縁側に腰かけて、母親のことを気の毒に思った。放埓《ほうらつ》な気の荒い父親が、これまでに田舎で働いて来たことや、一家のまごつき始めた径路などが、朧《おぼろ》げながら頭脳《あたま》に考えられた。お庄が覚えてから父親が家に落ち着いているような日はほとんどなかった。上州から流れ込んで来た村の達磨屋《だるまや》の年増《としま》のところへ入り浸っている父親を、お庄はよく迎えに行った。その女は腕に文身《ほりもの》などしていた。繻子《しゅす》の半衿《はんえり》のかかった軟かものの半纏《はんてん》などを引っ被《か》けて、煤《すす》けた障子の外へ出て来ると、お庄の手に小遣いを掴《つか》ませたり、菓子を懐ろへ入れてくれたりした。長く家へ留めておいた上方《かみがた》ものの母子《おやこ》の義太夫語《ぎだゆうかた》りのために、座敷に床を拵《こしら》えて、人を集めて語らせなどした時の父親の挙動《ふるまい》は、今思うとまるで狂気《きちがい》のようであった。母親も着飾って、よく女連と一緒に坐って聴いていた。父親や村の若い人たちは終いに浮かれ出して、愛らしい娘を取り捲《ま》いて、明るい燭台《しょくだい》の陰で、綺麗なその目や頬《ほお》に吸いつくようにしてふざけていた。お庄はきまりはずかしい念《おも》いをして、その義太夫語りに何やら少しずつ教わった。
「妾《あたい》にこのお子を四、五年預けておくれやす、きッと物にしてお目にかけます。」と太夫は言っていたが、父親はこんな無器用なものには、芸事はとてもダメだと言って真面目に失望した。
秋風が吹いて、収穫《とりいれ》が済むころには、よく夫婦の祭文語《さいもんかた》りが入り込んで来た。薄汚《うすぎたな》い祭文語りは炉端《ろばた》へ呼び入れられて、鈴木|主水《もんど》や刈萱《かるかや》道心のようなものを語った。母親は時々こくりこくりと居睡《いねむ》りをしながら、鼻を塞《つま》らせて、下卑《げび》たその文句に聴《き》き惚《ほ》れていた。田のなかに村芝居の立つ時には、父親は頭取りのような役目をして、高いところへ坐り込んで威張っていた。
養蚕時の忙《せわ》しい時期を、父親は村境の峠を越えて、四里先の町の色里へしけ込むと、きッと迎えの出るまで帰って来なかった。迎えに行った男は二階へ上ると、持って行った金を捲き揚げられて、一緒に飲み潰れた。そしてまた幾日も二人で流連《いつづけ》していた。
夜の目も合わさず衆《みんな》が立ち働いているところへ心も体も酒に爛《ただ》れたような父親が、嶮しい目を赤くして夕方帰って来ると、自分で下物《さかな》を拵えながら、炉端で二人がまた迎え酒を飲みはじめる。棄てくさったような鼻唄《はなうた》や笑い声が聞えて、誰も傍へ寄りつくものがなかった。
お庄は剛情に坐り込んで、薪片《まきぎれ》で打たれたり、足蹴《あしげ》にされたりしている母親の様子を幾度も見せられた。火の点《つ》いているランプを取って投げつけられ、頬からだらだら流れる黒血を抑《おさ》えて、跣足《はだし》で暗い背戸へ飛び出す母親の袂《たもと》にくっついて走《か》け出した時には、心から父親をおそろしいもののように思った。
七
そんなことを想い出している間に、父親は鉄灸《てっきゅう》で塩肴《しおざかな》の切身を炙
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