啼《な》いていた。そこらが古くさく汚く見えた。お庄は自分の古巣へ落ち着いたような心持で、低い窓に腰かけていた。
「阿母《おっか》さん、私お茶屋などへ行っちゃいけなくて。」お庄は訊《き》いた。
母親は畳んでいた重い四布《よの》蒲|団《とん》をそこへ積みあげると、こッちを振り顧《かえ》って、以前より一層肉のついたお庄の顔を眺めた。
「お茶屋ってどんなとこだか知らないが、堅気のものはまアあんまり行くところじゃあるまい。」
「ちゃんとした家なら、行ったっていいじゃないの。」
「さア、どんなものだかね、私《わし》らには一向解りもしないけれど……どこかそんなところでもあるだか。」母親は立っていながら言った。
お庄はこの母親に言って聞かせても解らないような気がしてもどかしかった。
「お前そうして、そこへ行くと言うだかい。」母親はマジマジ娘の顔を見た。
「どうだか解りゃしない。行って見ないかと言う人があるの。」お庄は外の方を見ていながら、気疎《けうと》いような返辞をした。
「誰からそんなことを言われたか知らないけれど、まアあんまり人の話にゃ乗らない方がいい。もしか間違いでもあって、後で親類に話の出来ないようなことでもあっちゃ済まないで。」と、母親は暗いような顔にニヤニヤ笑って、
「その人はやっぱりあすこへ出入りする人でもあるだか。」
「一緒に働いている人さ。その人も近いうちにあすこを出るでしょうと思うの。」
「じゃ、その人はお前より年とった人ずら。自分が出るでお前も一緒に引っ張って行かずかという気でもあるら。」
母親は蒲団の前に坐り込んで芥《ごみ》を捻《ひね》りながら、深く思い入っているようであった。
夕暮の色が、横向きに腰かけているお庄の顔にもかかって来た。
「よくせき困ってくれば、時と場合で女郎さえする人もあるもんだで、身を落す日になれア、何でもできるけれど、家じゃ田舎にちゃんとした親類もあるこんだもんだで、あの人たちに東京で何していると聞かれて、返辞の出来ないようなむやみなことも出来ないといったようなもんせえ。あすこへ世話してくれた人にだって、そんなことを言い出せた義理じゃないしするもんだで……。」
お庄は、重苦しい母親の調子が、息ぜわしいようであった。
やがて下から声かけられて、母親が板戸を締めはじめると、お庄もむっ[#「むっ」に傍点]と黴《かび》くさい部屋から
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