に絹拭巾《きぬぶきん》をかけたりした。主《あるじ》の寝る水浅黄色の縮緬《ちりめん》の夜着や、郡内縞《くんないじま》の蒲団《ふとん》を畳みなどした。
 主人は六十近い老人で、禿《は》げた頭顱《あたま》の皮膚に汚い斑点《まだら》が出来ており、裸になると、曲った背骨や、尖《とが》った腰骨のあたりの肉も薄いようであったが、ここに寝泊りする夜はまれであった。
「ただ今お帰りですよ。」
 お庄は時々、こんな電話を向島《むこうじま》の方の妾宅《しょうたく》から受け取って、それを奥へ取り次ぐことがあった。
 内儀《かみ》さんは背の低い、品のない、五十四、五の女で、良人《おっと》に羽織を着せる時、丈《たけ》一杯|爪立《つまだ》てする様子を、お庄は後で思い出し笑いをしては、年増《としま》の仲働きに睨《にら》まれた。
 客の多い家で、老主人が家にいると、お庄は朝から茶を出したり、菓子を運ぶのに忙しかった。店の方を切り廻している三十前後の若主人や、その内儀《かみ》さんも、折々来ては老人の機嫌を取っていた。縁づいている娘も二人ばかりあった。
 年取った内儀さんは、よく独りで、市中や東京|居周《いまわ》りの仏寺を猟《あさ》ってあるいた。嫁や娘たちが、海辺や湯治場で、暑い夏を過すあいだ、内儀さんは質素な扮装《みなり》をして、川崎の大師や、羽田の稲荷《いなり》へ出かけて行った。この春に京都から越前《えちぜん》まで廻って秋はまた信濃《しなの》の方へ出向くなどの計画もあった。そのたんびに寺へ寄附する金の額《たか》も少くなかった。お庄は時々、そんな内幕のことを、年増の女中から聴かされた。
 内儀さんは、家にいても夫婦一つの部屋で細々《こまごま》話をするようなことは、めったになかった。悧発《りはつ》そうなその優しい目には、始終涙がにじんでいるようで、狭い額際《ひたいぎわ》も曇っていた。階上の物置や、暗い倉のなかに閉じ籠《こも》って、数ある寝道具や衣類、こまこました調度の類を、あっちへかえしこっちへ返し、整理をしたり置き場を換えて見たりしていた。着物のなかには、もう着られなくなった、色気や模様の派手なものがたくさんあった。
「私が死ねば、これをお前さんたちみんなに片身分《かたみわ》けにあげるんですよ。」
 内儀さんはその中に坐りながら言った。
 老人は、頭脳《あたま》が赫《かっ》となって来ると、この内儀さん
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