おや、お庄ちゃん来たの。」というような調子で、細い寝呆《ねぼ》たような目尻に小皺《こじわ》を寄せた。
 父親はじきに奥の方へ上って行った。奥は暗い茶の間で、畳も汚く天井も低く窮屈であったが、火鉢や茶箪笥などはつるつるしていた。そのまた奥の方に、箪笥など据えた部屋が一つ見えた。
 お庄は膝《ひざ》へ乗っかって来る猫を気味悪がって、尻をもぞもぞさせていると、女は長火鉢の向うからじろじろ見て笑っていた。

     九

 父親とその女との話は、お庄には解らないようなことが多かった。女はお庄のまだ知らないお庄の家のことすら知っていた。田舎の縁類の人の噂《うわさ》も出た。お庄はどこか父親に肖《に》ているとか、ここが母親に肖ているとか言って、顔をじろじろ見られるのが、むず痒《かゆ》いようであった。
「庄ちゃん小母《おば》さんとこの子になっておくれな、小母さんが大事にしてそこら面白いところを見せてあげたりなんかするからね。」と言ったが、お庄には、黙っている父親にも、その心持があるように思えた。
 女はそこらを捜して銀貨を二つばかりくれると、「お庄ちゃん、公園知っていて。観音さまへ行ったことがあるの。賑《にぎ》やかだよ。」と言って訊《き》いた。
「知ってるとも、すぐそこだ。」父親は長い顎《あご》を突き出した。
「独《ひと》りじゃどうだかね。」
「何、行けるとも。それは豪《えら》いもんだ。」
 お庄は銀貨を帯の間へ挟《はさ》んで、家だけは威勢よく駈《か》け出したが、あまり気が進まなかった。一、二度来たことのある釣堀《つりぼり》や射的の前を通って、それからのろのろと池の畔《はた》の方へ出て見たが、人込みや楽隊の響きに怯《おじ》けて、どこへ行って何を見ようという気もしなかった。
 お庄は活人形《いきにんぎょう》の並んだ見世物小屋の前にたたずんで、その目や眉《まゆ》の動くさまを、不思議そうに見ていたが、うるさく客を呼んでいる木戸番の男の悪ごすいような目や、別の人間かと思われるような奇妙な声が気になって、長く見ていられなかった。幕の外に出ている玉乗りの女の異様な扮装《ふんそう》や、大きい女の鬘《かつら》を冠《かぶ》った猿《さる》の顔にも、釣り込まれるようなことはなかった。
 今の家と同じような小間物店や、人形屋の前へ来たとき、お庄は帯の間の銀貨を気にしながら、自分にも買えるようなものを、そ
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