丈夫だよ。どうしているかちょっと訊いて見るだけだ。」磯野はお庄を宥《なだ》めておいてまた手紙を書きはじめる。
半分ほど書くと、お庄はまたべったり墨を塗った。
女は手紙で呼び出されて、それから三度ばかり遊びに来た。二度目には自家《うち》で拵えた紙入れなどをお庄へ土産《みやげ》に持って来てくれて、二階で二、三時間ばかり遊んで帰って行った。女の父親は袋物の職人で、家は新右衛門町の裏店《うらだな》にあった。磯野の郷里の町へ旅芸者に出ていた時分からの馴染《なじ》みで、土地でしばらく一緒に暮したこともある。女は亡くなった磯野の父親の気に入りで、町でも評判のよい素人くさい芸者であった。
磯野はその女を一、二度引っ張りまわすと、またふっつりと忘れてしまった。
亡くなった叔母の弟が田舎へ帰省するときお庄はその男と約束しておいて、自分で路費を少しばかり拵えて、叔父にも母親にも秘《かく》して、磯野の田舎へ遊びに行った。叔父は海辺から帰って、また家にぶらぶらしていた。病気が快くなったとも思えなかったが、いくらか肉づきもよくなっていたし、色沢《いろつや》も出て元気づいていた。叔父は自分では肺尖加答児《はいせんカタル》だと称していた。
狭い田舎の町では、お庄は姿《なり》が人の目に立って、長くもいられなかった。磯野とも一度|鰻屋《うなぎや》で二人一緒に飯を食ったきりで、三日目の午後には、もう利根川《とねがわ》の危い舟橋を渡って、独りで熊谷《くまがや》から汽車に乗った。
停車場で買った五加棒《ごかぼう》などを土産に持って、お庄はその夕方に家へ帰った。
帰って来たことが知れると、湯島の伯母がすぐにやって来た。
「お前まあ何てことをするだえ。」と、伯母は前から感づいていたお庄の不乱次《ふしだら》を言い立てた。
「田舎へでも知れて見ない。それこそ親類のいい顔汚《かおよご》しだぞえ。」
叔父は傍に黙っていた。
「お安さあも、年中傍についていて、何をしているだい。」伯母は母親にも当り散らした。
叔父と伯母とのあいだに、お庄を片着けるような家の詮索《せんさく》が始まった。伯母はその男との関係があまり縺《もつ》れて来ないうちに早くお庄の体を始末をしなければならぬことを主張した。
「やっぱり田舎がいいらと思うが――。」
六十一
お庄を田舎へ片着けるという話が、本家の従兄《いとこ》
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