。通り路《みち》は、どこを見ても、皆窓の戸を鎖《さ》して寝ているかと思う宅《うち》ばかりで、北風に白く晒《さら》された路のそこここに、凍《い》てついたような子守《こもり》や子供の影が、ちらほら見えた。低い軒がどれもこれもよろけているようである。呉服屋の店には、色の褪《さ》めたような寄片《よせぎれ》が看《み》るから手薄に並べてある。埃深《ほこりぶか》い唐物屋《とうぶつや》や古着屋の店なども、年々衰えてゆく町の哀れさを思わせている。ふといつか飛び込んだことのある小料理屋が目に入った。怪しげなそこの門を入って、庭から離房《はなれ》めいた粗末な座敷へ通され、腐ったような刺身で、悪い酒を飲んで、お作一家の内状を捜《さぐ》った時は、自分ながら莫迦莫迦しいほど真面目であった。新吉は外方《そっぽう》を向いて通り過ぎた。
 こういう町に育ったお作の身の上が、何だか哀れなように思われてならなかった。この寂れた淋しい町に、もう二月の以上も、大きい腹を抱えて、土臭い人たちと一緒にいることを思うと、それも可哀そうであった。ショボショボしたような目、カッ詰ったような顔、蒼白い皮膚の色、ザラザラする掌《て》や足、それがもう目に着くようであった。何だか済まないような気もしたが、行って顔を見るのが厭なような心持もした。
 一里半ばかり、鼻のもげるような吹曝《ふきさら》しの寒い田圃道《たんぼみち》を、腕車《くるま》でノロノロやって来たので、梶棒《かじぼう》と一緒に店頭《みせさき》へ降されたとき、ちょっとは歩けないくらい足が硬張《こわば》っていた。
 車夫《くるまや》に賃銀を払っていると、「マア!」と言ってお作が障子の蔭から出て来た。新吉が新調のインバネスを着て、紺がかった色気の中折を目深《まぶか》に冠った横顔が、見違えるほど綺麗に見え、うつむいて蟇口《がまぐち》から銭を出している様子が、何だか一段も二段も人品が上ったように思えた。
「よく来られましたね。寒かったでしょう。」とお作は帽子やインバネスを脱がせて、先へ奥に入ると、
「阿母《おっか》さん、宅《うち》でいらっしゃいましたよ。」と声をかけた。
 新吉が薄暗い茶の室《ま》の火鉢の側に坐ると、寝ぼけたような顔をして、納戸のような次の室《ま》から母親が出て来た。リュウマチが持病なので、寒くなると炬燵《こたつ》にばかり潜《もぐ》り込んでいると聞いたが、いつか見た時よりは肥《ふと》っている。気のせいか蒼脹《あおぶく》れたようにも見える。目の性が悪いと見えて、縁が赭《あか》く、爛《ただ》れ気味《ぎみ》であった。
 母親は長々と挨拶をした。新吉が歳暮の砂糖袋と、年玉の手拭《てぬぐい》とを一緒に断わって出すと、それにも二、三度叮寧にお辞儀をした。
 しばらくすると、嫂《あによめ》も裏から上って来て、これも莫迦叮寧に挨拶した。兄貴はと訊くと、今日は隣村の弟の養家先へ行ったとかで、宅《うち》には男片《おとこぎれ》が見えなかった。

     二十四

 嫂というのも、どこかこの近在の人で、口が一向に無調法な女であった。額の抜け上った姿《なり》も恰好《かっこう》もない、ひょろりとした体勢《からだつき》である。これまでにも二度ばかり見たが、顔の印象が残らなかった。先《さき》もそうであったらしい。今日こそは一ツ、お作の自慢の婿さんの顔をよく見てやろう……といった風でジロジロと見ていた。お作はベッタリ新吉の側へくっついて坐って、相変らずニヤニヤと笑っていた。
「サア、ここは悒鬱《むさくる》しくていけません。お作や、奥へお連れ申して……何はなくとも、春初めだから、お酒を一口……。」
「イヤ、そうもしていられません。」と新吉は頭を掻いた。「留守が誠に不安心でね……。」
「いいじゃありませんか。」お作は自分の実家《さと》だけに、甘えたような、浮《うわ》ずったような調子で言う。
「サア、あちらへいらっしゃいよ。」
 新吉は奥へ通った。お作が母親や嫂に口を利くのを聞いていると、良人の新吉のことを、主人か何かのように言っている。嫂に対してはそれが一層激しい。「あまり御酒《ごしゅ》は召し食《あが》りませんのですから。」とか、「宅《うち》は真実《ほんとう》にせかせかした質《たち》でいらっしゃるんですから……。」とかいう風で……が、嫂の耳には格別それが異様にも響かぬらしい。「ヘエ、さいですか。」と新吉の顔ばかり見ている。新吉はこそばゆいような気がした。
 しばらくすると、お作と二人きりになった。藁灰《わらばい》のフカフカした瀬戸物の火鉢に、炭をカンカン起して、ならんで当っていた。お作はいつの間にか、小紋の羽織に着替えていた。が東京にいた時より、顔がいくらか水々している。水ッぽいような目のうちにも一種の光があった。腹も思ったほど大きくもなかったが、それで
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