ツであった。新吉は七、八歳までは、お坊《ぼッ》ちゃんで育った。親戚《しんせき》にも家柄の家《うち》がたくさんある。物は亡《な》くしても、家の格はさまで低くなかった。
けれど、新吉はそんなことにはあまり頓着《とんちゃく》もしなかった。自分の今の分際では、それで十分だと考えた。
そのことを、同じ村から出ている友達に相談してから、新吉はようやく談《はなし》を進めた。見合いは近間の寄席《よせ》ですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。お作は薄ッぺらな小紋縮緬《こもんちりめん》のような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎《いなか》から出ている兄との真中に、少し顔を斜《はす》にして坐っていた。叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄は菱《ひし》なりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳《あたま》が酔ったようになっていた。
寄席を出るとき、新吉は出てゆくお作の姿をチラリと見た。お作も振り顧《かえ》って、正面から男の立ち姿を二、三度熟視した。お作は小柄の女で、歩く様子などは、坐っているよりもいくらかいいように思われた。
そこを出ると、和泉屋は不恰好《ぶかっこう》な長い二重廻しの袖《そで》をヒラヒラさせて、一足《ひとあし》先にお作の仲間と一緒に帰った。
「どうだい、どんな女だい。」と新吉はそっと友達に訊いた。
何だか頭脳《あたま》がボッとしていた。叔父や兄貴の百姓百姓した風体《ふうてい》が、何となく気にかかった。でも厭《いや》でたまらぬというほどでもなかった。
三
明日《あす》は朝早く、小僧を注文取りに出して、自分は店頭《みせさき》でせっせと樽《たる》を滌《すす》いでいると、まだ日影の薄ら寒い街を、せかせかとこっちへやって来る男がある。柳原ものの、薄ッぺらな、例の二重廻しを着込んだ和泉屋である。
和泉屋は、羅紗《ラシャ》の硬《こわ》そうな中折帽を脱ぐと、軽く挨拶《あいさつ》して、そのまま店頭《みせさき》へ腰かけ、気忙しそうに帯から莨入《たばこい》れを抜いて莨を吸い出した。
「君の評判は大したもんですぜ。」と和泉屋は突如《だしぬけ》に高声《たかごえ》で弁《しゃべ》り出した。「先方《さき》じゃもうすっかり気に入っちゃって、何が何でも一緒にしたいと言うんです。」
「冷評《ひやか》しちゃいけませんよ。」と新吉はやっぱりザクザクやっている。気が気でないような心持もした。
「いやまったくですよ。」と和泉屋は反《そ》り身になって、「それで話は早い方がいいからッってんで、今日にでも日取りを決めてくれろと言うんですがね、どうです、女も決して悪いて方じゃないでしょう。」と和泉屋は、それから女の身上持ちのいいこと、気立ての優しいことなどをベラベラと説き立てた。星廻りや相性のことなども弁じて、独《ひと》りで呑み込んでいた。支度《したく》はもとよりあろうはずはないけれど、それでもよかれ悪《あ》しかれ、箪笥《たんす》の一|棹《さお》ぐらいは持って来るだろう。夜具も一組は持ち込むだろう。とにかく貰って見給え、同じ働くにも、どんなに張合いがあって面白いか。あの女なら請け合って桝新《ますしん》のお釜《かま》を興しますと、小汚《こぎたな》い歯齦《はぐき》に泡《あわ》を溜《た》めて説き勧めた。
新吉は帳場格子の前のところに腰かけて、何やらもの足りなそうな顔をして聴《き》いていたが、「じゃ貰おうかね。」と首を傾《かし》げながら低声《こごえ》に言った。
「だが、来て見て、びっくりするだろうな。何ぼ何でも、まさかこんな乱暴な宅《うち》だとは思うまい。けど、まあいいや、君に任しておくとしましょう。逃げ出されたら逃げ出された時のことだ。」
「そんなもんじゃありませんよ。物は試《ため》し、まあ貰って御覧なさい。」
和泉屋はほくほくもので帰って行った。
それから七日ばかり経ったある晩、新吉の宅《うち》には、いろいろの人が多勢集まった。前《ぜん》の朋輩が二人、小野という例の友達が一人――これはことに朝から詰めかけて、部屋の装飾《かざり》や、今夜の料理の指揮《さしず》などしてくれた。障子を張り替えたり、どこからか安い懸け物を買って来てくれなどした。新吉の着るような斜子《ななこ》の羽織と、何やらクタクタの袴《はかま》を借りて来てくれたのも小野である。小さい口銭《コンミッション》取《と》りなどして、小才の利《き》く、世話好きの男である。
料理の見積り
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