》に当ってクヨクヨしていたって始まらないから、気晴しにこうやってお手伝いしているんです。春が来たって、私は何の楽しみもありゃしない。」
「だが、そうやって私《あっし》のとこで働いていたってしようがないね。私は誠に結構だけれど、あんたがつまらない。」と新吉はどこか突ッ放すような、恩に被《き》せるような調子で言った。
お国は萎《しょ》げたような顔をして黙ってしまった。そうして猪口を下において何やら考え込んだ。その顔を見ると、「新さんの心は私にはちゃんと見え透いている。」と言うようにも見えた。新吉も気が差したように黙ってしまった。
しばらくしてから、女は銚子を持ちあげて見て、「お酒はもう召し食《あが》りませんか。」と叮寧《ていねい》な口を利く。
「小野さんも、この春は酒が飲めねえで、弱っているだろう。」と新吉はふと言い出した。
それから二人の間には、小野の風評《うわさ》が始まった。お国はあの人と知っているのは、もう二、三年前からのことで、これまでにも随分いい加減な嘘《うそ》を聞かされた。そのころは自分もまだ一向|初《うぶ》である若い書生肌の男と一緒に東京へ出て来た。宅《うち》は田舎で百姓をしている。その男が意気地《いくじ》がなかったので、長い間苦労をさせられた。それから間もなく小野と懇意になった。会社員だという触込みであったが、覩《み》ると聴くとは大違いで、一緒に世帯を持って見ると、いろいろの襤褸《ぼろ》が見えて来た。金は時たま三十四十と攫《つか》んでは来るが、表面《うわべ》に見せているほど、内面は気楽でなかった。才は働くし、弁口もあるし、附いていれば、まさかのめって死ぬようなこともあるまいけれど、何だか不安でならなかった。着物も着せてくれるし、芝居も見せてくれるが、それはその場きりで、前途《さき》の見越しがつかぬから、それだけで満足の出来よう道理がない……とお国はシンミリした調子で、柄にないジミな話をし始めた。
「私|真実《ほんとう》にそう思うわ。明けるともう二十五になるんだから、これを汐《しお》に綺麗に別れてしまおうかと……。」
新吉は黙っていた。聞いているうちに、何だか女というものの心持が、いくらか胸に染《し》みるようにも思われた。
二十三
正月になってから、新吉は一度お作を田舎に訪ねた。
町が寂れているので、ここは春らしい感じもしなかった
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