れ、陽気な笑い声や、話し声が一時に入り乱れて、猪口《ちょく》が盛んにそちこちへ飛んだ。
「サア、お役は済んだ。これから飲むんだ。」和泉屋が言い出した。
 新吉も席を離れて、「私《あっし》のとこもまだ真《ほん》の取着《とっつ》き身上《しんしょう》で、御馳走と言っちゃ何もありませんが、酒だけアたくさんありますから、どうかマア御ゆっくり。」
「イヤなかなか御丁重な御馳走で……。」と兄貴は大きい掌《てのひら》に猪口を載せて、莫迦叮寧なお辞儀をして、新吉に差した。「私《わたし》は田舎者で、何にも知らねえもんでござえますが、何分どうぞよろしく。」
「イヤ私《あっし》こそ。」と新吉は押し戴《いただ》いて、「何《なん》しろまだ世帯を持ったばかりでして……それに私アこっちには親戚《みより》と言っては一人もねえもんですから、これでなかなか心細いです。マア一つ皆さんのお心添えで、一人前の商人になるまでは、真黒になって稼ぐつもりです。」
「とんでもないこって……。」と兄貴は返盃《へんぱい》を両手に受け取って、「こちとらと違えまして、伎倆《はたらき》がおありなさるから……。」
「オイ新さん、そう銭儲《ぜにもう》けの話ばかりしていねえで、ちょっとお飲《や》りよ。」と小野は向う側から高調子で声かけた。
 新吉は罰《ばつ》が悪そうに振り顧《む》いて、淋しい顔に笑《え》みを浮べた。「笑談《じょうだん》じゃねえ。明日から頭数が一人殖えるんだ。うっかりしちゃいらんねえ。」と低声《こごえ》で言った。
「イヤ、世帯持ちはその心がけが肝腎です。」と和泉屋は、叔母とシミジミ何やら、談《はな》していたが、この時口を容《い》れた。「ここの家へ来た嫁さんは何しろ幸《しあわ》せですよ。男ッぷりはよし、伎倆《はたらき》はあるしね。」
「そうでございますとも。」と叔母は楊枝《ようじ》で金歯を弄《せせ》りながら、愛想笑いをした。
「これでお内儀さんを可愛がれア申し分なしだ。」と誰やらが混《ま》ぜッ交《かえ》した。
 銚子が後から後からと運ばれた。話し声がいよいよ高調子になって、狭い座敷には、酒の香と莨《たばこ》の煙とが、一杯に漂うた。
「花嫁さんはどうしたどうした。」と誰やらが不平そうに喚《わめ》いた。
 和泉屋が次の間へ行って見た。お作は何やら糸織りの小袖に着換えて、派手な花簪《はなかんざし》を挿《さ》し、長火鉢の前に、灯
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