《かつお》を主にした漁業は盛んで、住みよい裕《ゆた》かな町ではあった。
迎えに来ていたのが、銀子の女主人が働いていた本家のお神やその養女たちで、体の小造りな色白|下腫《しもぶく》れのそのお神も、赤坂で芸者になった人であり、姪《めい》を二人まで養女に迎えて商売に就《つ》かしており、来てみるとほかにも東京ものが幾人かあって、銀子もいくらか安心したのだった。芸妓屋《げいしゃや》が六七軒に、旅館以外の料亭《りょうてい》と四五軒の待合がお出先で、在方《ざいかた》の旦那衆《だんなしゅう》に土地の銀行家、病院の医員、商人、官庁筋の人たちが客であった。
「この土地では出たての芸者は新妓《しんこ》といってね、わりかた東京ッ児《こ》の持てる処《ところ》なんだよ。だけどあまり東京風を吹かさずに、三四カ月もおとなしく働いていれば、きっと誰か面倒見てくれる人が見つかるのよ。お前が自分で話をきめなくても、お出先と私とでいいようにするから、そのつもりで一生懸命おやんなさい。」
出る先へ立って、お神は銀子の寿々龍《すずりゅう》にそんなことを言って聞かせたが、そういうものが一人現われたのは、この土地にも春らしい気分が兆《きざ》しはじめ、人馬も通えるように堅く張り詰めた河の氷もようやく溶けはじめたころで、町は選挙騒ぎでざわめき立っていた。銀子の行く座敷も、とかく選挙関係の人が多く、それも土地に根を張っていた政友会系の人が七分を占め、あと三分が憲政会という色分けで、出て間もない銀子はある時これも政友系の代議士|八代《やしろ》と、土地の富豪倉持との座敷へ呼ばれたのが因縁で、倉持のものとなってしまったのだった。
倉持はまだ年が若く、学生時代はスポーツの選手であり、色の浅黒い筋骨の逞《たくま》しい大男であったが、東北では指折りの豪農の総領で、そのころはまだ未婚の青年であり、遊びの味は身に染《し》みてもいなかった。分家も方々に散らばっており、息のかかった人たちも多いので、その附近の地盤を堅めるのに、その勢力はぜひとも必要であり、投票を一手に集めるのにその信望は利用されなければならなかった。
八代代議士と倉持との会談も、無論投票に関することで、倉持は原敬の依頼状まで受け取り、感激していた。
新聞社の前には刻々に情報の入って来る投票の予想が掲示され、呼ばれつけている芸者たちまで選挙熱に浮かされ、どこもその話で持ちきりというふうであった。
銀子にも男性的なこの青年の印象は悪くなかった。文化人気分の多い栗栖とは違って、言葉数も少なく、お世辞もなかったが、どこかのんびりした地方の素封《ものもち》の坊っちゃんらしい気分が、気に入っていた。
選挙騒ぎもやや鎮《しず》まった時分、倉持は二三人取巻きをつれて来たり、一人で飯を食いに来たりもしていたが、よって来ると三味線《しゃみせん》をひかせておばこ節など唄《うた》って騒ぐくらいで、手もかからず、気むずかしいところも見えなかった。
銀子は来る時から、別にここで、根を卸す考えはなく、来た以上は真面目《まじめ》に働いて借金を切り、早く引き揚げましょうと思っていたので、千葉時代から見ると、気も引き締まっており、お座敷も殊勝に敏捷《びんしょう》にしていたので倉持にもそこいらの芸者から受ける印象とは一風ちがった純朴《じゅんぼく》なものがあった。
「どうして、この土地へ来たのかね。」
「どうしてでもないのよ。私は上州産だから、西の方は肌に合わないでしょう。東北の方ならいいと思ったまでだわ。来るまではI―なんて聞いたこともなかったわ。でも来てみると、暢気《のんき》でいいわ。」
するとある時倉持の座敷へ呼ばれ、料亭のお神が、主人を呼んで来いというので、寿々龍の銀子はお神を迎えに行き、お神が座敷へ現われたところで、三人のあいだに話が纏《まと》まり、倉持が銀子のペトロンと決まり、芸妓屋《げいしゃや》へ金を支払うと同時に、月々の小遣《こづかい》や時のものの費用を銀子が支給されることになり、彼女も息がつけた。
四
文化の低いこの町では、銀子の好きなイタリイやドイツの写真もなく、国活がまだ日活になったかならない時分のことで、ちゃんばらで売り出した目玉の松ちゃんも登場せず、女形の衣笠《きぬがさ》や四郎五郎なぞという俳優の現代物が、雨漏《あまも》りのした壁画のような画面を展開していたにすぎなかった。しかし歌劇とか現代劇とか、浪花節《なにわぶし》芝居とかいった旅芸人は、入れ替わり立ち替わり間断なくやって来て、小屋の空《あ》く時はほとんどなかった。東京から来るのもあり、仙台あたりから来るのもあり、尖端的《せんたんてき》な歌劇の一座ともなれば、前触れに太鼓や喇叭《らっぱ》を吹き立て、冬|籠《ごも》りの町を車で練り歩くのであった。
銀子も所在
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