仕事に坐ることもできた。上の妹は小山で当分寝泊りすることになり、小さい方の妹たちは磯貝の勧めで、学校から帰ると踊りの稽古《けいこ》に通わせ、銀子が地をひいて浚《さら》ったりしていた。
ある日の午後も、銀子は椿姫《つばきひめ》の映画を見て、強い感動を受け、目も眩《くら》むような豪華なフランスの歌姫の生活にも驚いたが、不幸な恋愛と哀れな末路の悲劇にも泣かされた。彼女は「クレオパトラとアントニイ」や「サロメ」など、新しい洋画を欠かさず見ていたが、弁士にもお座敷での顔馴染《かおなじみ》があり、案内女にも顔を知られて、お座敷がかかれば、そっと座席へ知らせに来てもくれた。
そのころ銀子は二度ばかり呼ばれた東京の紳士があり、これが昔しなら顔も拝めない家柄だったが、夫人が胸の病気で海岸へ来ているので、時々洋楽の新譜のレコオドなど買い入れて持って来るのだったが、銀子の初々《ういうい》しさに心を惹《ひ》かれ、身のうえなど聞いたりするのだった。
「事によったら僕が面倒見てあげてもいいんだがね、この土地としては君の着附けは大変いいようじゃないか、何かいいパトロンがついているんだろう。」
彼は思わせぶりに、そんなことを言いながら、大抵|家《うち》の妓《こ》も二三人呼んで酒も余計は呑まず、飯の給仕などさせて、あっさり帰るのだったが、身分を隠してのお忍びなので、銀子はそれが何様であるかも判らず、狭い胸に映画かぶれの空想を描いたりしてみるのだったが、男の要求しているものが、大抵判るので、この人もかとすぐ思うのであった。同じ土地の芸者が、間もなく落籍《ひか》され、銀子もその身分を知ったのだったが、ずっと後になって、彼はその女に二人の子供をおいて行方《ゆくえ》知れずになり、自身の手で子供を教育するため、彼女は新橋で左褄《ひだりづま》を取り、世間のセンセションを起こしたのだった。
十七
銀子が稽古に通っている、千葉神社の裏手に大弓場などもって、十くらいの女の貰《もら》い子と二人で暮らしている、四十三四にもなったであろう、商売人あがりの清元の師匠を、親父《おやじ》の後妻にしたらと、ふと思いつき、ある日磯貝に話してみた。
「父さんお神さん貰《もら》うといいわ。いい人があるから貰いなさいね。」
「うむ、貰ってもいいね。いい人って誰だい。」
親父は銀子が世間へ自分の立場をカムフラジュするための智慧《ちえ》だと考え、気が動いた。
「清元のお師匠さんよ。」
この師匠が東京から流れて来て、土地に居ついた事情も親父は知っていた。
「うむ、あの師匠か。子供があるじゃないか。」
「女の子だからいいでしょう。」
「お前話してみたのか。」
「ううん、お父さんよかったら、今日にでも話してみるつもりだわ。いい?」
「ああいい。お前のいいようにしろ。」
親父も頷《うなず》いた。
ちょうど山姥《やまうば》がもう少しで上がるところで、銀子はざっと稽古《けいこ》をしてもらい、三味線《しゃみせん》を傍《そば》へおくかおかぬに、いきなり切り出してみた。かつて深川で左褄《ひだりづま》を取っていた師匠は、万事ゆったりしたこの町の生活気分が気に入り、大弓場の片手間に、昔し覚えこんだ清元の稽古をして約《つま》しく暮らしているのだったが、深川女らしく色が黒く小締まりだったが、あの辺の芸者らしい暢気《のんき》さもあった。
「今日はお師匠さんにお話があるんですけれど……。」
銀子は切り出した。
「そう。私に? 何でしょうね。」
「お師匠さん。家《うち》のお嫁さんに来てくれません?」
「私が? お宅の後妻に?」
「お父さんも承知の上なのよ。」
「愛ちゃんがいるからね。」
「いたっていいわよ。」
「それはね、私も商売人あがりだから、この商売はまんざら素人《しろうと》でもないんですよ。だから旦那《だんな》が御承知なら行ってもよござんすがね。でもそんなことしてもいいんですか。」
「どうしてです。」
「真実《ほんとう》か嘘《うそ》か、世間の噂《うわさ》だから当てにはならないけれど、お銀ちゃんとの噂が立っていますからね。」
「そんなこと嘘よ。全然嘘だわ。」銀子はあっさり否定した。
「そうお。そんなら私の方は願ったり叶《かな》ったりだけれど、旦那がよろしくやっているところへ、私がうっかり入って行ったら、変なものが出来あがってしまいますからね。」
「そんなことないわ。父さんにお神さんがないから、そんな噂も立つんでしょう。お師匠さんに来ていただければ、私も助かるわ。」
師匠も銀子の口車に乗り、やがて大弓場を処分して、藤本へ入って来たのだったが、入れてみると、ちぐはぐの親父と、銀子の所思《おもわく》どおりに行かず、師匠の立場も香《かんば》しいものではなかった。親父と銀子は、時々師匠の前でもやり合い、声
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