も思えなかった。しかし加世子や均一の前途がやッぱり不安で、加世子のためには均一の生命が、均一のためには加世子の存在が必要であった。
「そう心配したものでもないのよ。結婚してしまえば、旦那《だんな》さまや奥さまに愛せられて、自分々々の生活に立て籠《こ》もるのよ。」
銀子に言われると、それもそうかと思うのであった。
玄関の喫煙場で、隆と友人とが山の話をしていたが、ここにも病人があるらしく、若い女が流しの方で、しきりに氷をかいていた。二人の青年をも加えて、ビールをぬき晩餐《ばんさん》の食卓についたのは、もう夜で、食事がすんでから間もなく隆たちは東京へ立っていった。
五
加世子が隆たちを駅へ送って帰って来ると、もう八時半で、階下《した》からラジオ・ドラマの放送があり、都会で型にはめて作った例の田舎《いなか》言葉でお喋《しゃべ》りをしているのが、こんな山の中で聞いていると、一層|故意《わざ》とらしく、いつも同じような型の会話だけの芝居が、かつての動作だけの無声映画と同じく、ひどく厭味《いやみ》なものに聞こえた。
加世子も毎晩このラジオには悩まされるらしく、
「今夜はまた声が高いわね。氷で冷やしている病人があるのに、もっと低くしないかな。」
均平は加世子と女中が寝床を延べている間、階下《した》へおりて、玄関の突当りにある電話室へ入って、上諏訪のホテルへ電話をかけ、銀子を呼び出した。
「何だか雨がふって退屈で仕様がないから、今下へおりてラジオを聞いているところなの。」
銀子の声が環境が環境だけに一層晴れやかに聞こえた。
「均一さんどんなでした。」
均平は今夜はここに一泊して、明日病院へ行くつもりだということだけ知らせ、受話機をおいた。そして廊下の壁に貼《は》り出してある、汽車の時間表など見てから、二階へあがった。まだ寝るには少し早く、読むものも持って来たけれど、読む気にもなれず、加世子と何か話そうとしても、久しぶりで逢《あ》っただけに話の種もなく、三村家一族のことに触れるのも何となしいやであった。三村は千万長者といわれ、三十七八年の戦争の時、ぼろ船を買い占めて儲《もう》けたのは異数で、大抵各方面への投資と土地で築きあげた身上《しんしょう》であり、自身に経営している産業会社というようなものはなく、起業家というより金貸しと言った方が適当であった。論語くら
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