った。
「どうしたの一体。」
銀子が銚子《ちょうし》をもつと、
「さあ、どうしたというんだか、己《おれ》の方からも訊きたいくらいだよ。」
そう言って笑いながら注《つ》いで呑んだ。
「だけどね晴さん、率直に言っておくけれど、気を悪くしないでくれたまえ。」
銀子は勝手がわからず、
「何さ。」
と相手を見た。
「君も若ーさんという人があるんだろう。」
「そうよ。」
「だからせっかくだけれど、己はそういうことは大嫌《だいきら》いさ。ただ友達として清く附き合う分にはかまわないと思う。」
「どうでもいいのよ、私だって。」
十
春の七草に、若林は銀子のペトロンとして春よしの芸者全部に昼間の三時から約束をつけ、藤川へ呼んだ。年増《としま》の福太郎と春次は銀子と連れ立ち、出の着附けで相撲《すもう》の娘の小福を初め三人のお酌《しゃく》と、相前後して座敷に現われ、よそ座敷に約束のある芸者も、やがて屠蘇機嫌《とそきげん》で次ぎ次ぎに揃《そろ》い、揃ったかと思うと、屠蘇を祝い御祝儀《ごしゅうぎ》をもらって後口へ廻るものもあった。姐《ねえ》さん株の福太郎と春次が長唄《ながうた》の地方《じかた》でお酌が老松《おいまつ》を踊ると、今度は小稲が同じ地方で清元の春景色を踊るのだったが、酒がまわり席のやや紊《みだ》れた時分になって、自称女子大出の染福が、ヘベれけになって現われ、初めから計画的に酒を呷《あお》って来たものらしく、いきなり若林の傍に坐っている銀子の晴子に絡《から》んで来るのだった。
「やい晴子、お前このごろよほど生意気におなりだね。」
銀子は訳がわからず、不断から仲のわるい染福のことなので、いい加減に遇《あしら》っていたが、高飛車に出られむっとした。
「何が生意気なのさ。」
「若ーさんの前ですがね、晴子という奴《やつ》はね、家のお帳場さんの伊ーさんに熱くなって、世間の噂《うわさ》ではちょいちょい、どこかで逢曳《あいびき》しているんだとさ。」
「何ですて? 私が伊ーさんと逢曳してるって? 春早々人聞きの悪いことを言うもんじゃないわよ。」
「大きにすまなかったね、みんなの前で素破《すっぱ》ぬいたり何かして。」
「貴女《あんた》は素破ぬいたつもりかも知らないけれど、私は平気だわ。貴女は一体ここを誰の座敷だと思っているの。仮にも人の座敷へ呼ばれて来て、気の利いたふうな真似
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