。」
「瞞《だま》されたと思って行ってごらんなさい。」
 お梅さんはそう言って、道順を丁寧に教えるのだった。
 銀子も心が動き、帰って春次に話してみた。
「人相なんて中るもの?」
「中るね。他のへっぽこ占ないは駄目よ。見てもらうのなら、桜田さんとこへ行ってごらんなさい。私が保証するから。」
 そういう春次も信者の一人であり、その人相見の予言のとおりに、過去はもちろん現在の彼女の運命が在《あ》るのであった。
 翌朝銀子は朝の十時ごろに家を出て、築地《つきじ》まわりの電車で行ってみた。ちょうど数寄屋橋《すきやばし》を渡って、最近出来たばかりの省線のガードの手前を左へ入った処《ところ》に、その骨相家の看板が出ていた。
「貴女は住替えした方がいいのう。」
 半白の顎鬚《あごひげ》を胸まで垂らした老骨相家は言うのだった。
「住替えは赤坂に限る。赤坂へ住み替えれば運は必ず嚮《む》いて来るのう。ほかはいかん。」
 まるで見当はずれなので、銀子は可笑《おか》しくもあり、赤坂の芸者屋と聯絡《れんらく》でも取っているのかとも思い、見料をおいて匆々《そうそう》にそこを出た。

      九

 永瀬はその後も三四度現われたが、銀子に若林のついていることが、薄々耳に入ったものらしく、次第に足が遠退《とおの》き、ふっつり音信が絶えてしまったが、藤川のお神が間に立って、月々の小遣《こづかい》や、移り替え時の面倒を見てくれている、ペトロンはペトロンとして、銀子も明ければもう二十歳で、花柳気分もようやく身に染《し》み、旦那《だんな》格の若林では何か充《み》たされないものを感じ、自由な遊び友達のほしい時もあった。そしてそういう相手が、ちょうど身近にあるのであった。
 時々帳場の調べに来てくれて、抱えたちを相手にトランプを遊んだり、芝居や芸道の話をしてくれたり、真面目《まじめ》な株式の事務員としてどこか頼もしそうな風格の伊沢がそれで、その兄は被服廠《ひふくしょう》に近いところに、貴金属品の店をもっており、三十に近い彼はその二階で、気楽な独身生活をつづけ、たまには株も買ったりして、懐《ふところ》の温かい時は、春よしの子供を呼んで、歌沢や常磐津《ときわず》の咽喉《のど》を聞かせたりもした。坊主の娘だという一番|年嵩《としかさ》の、顔は恐《こわ》いが新内は名取で、歌沢と常磐津も自慢の福太郎が、そういう時き
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