りつけの家で、二た座敷ばかり廻っているうちに、女中からもそのことを言われて、町中みんながとっくに知っており、知らぬのは当の自分だけだと感づき、客たちの目にさえそれがありあり読めるように思えて来た。
とにかく記事を読んでみようと思い、お座敷の帰りに、角の煙草屋《たばこや》で朝日を買い、今朝の新聞があるかと訊いてみた。
「今日の新聞かね。」
四十男の主人は、にやにやしながら、茶の間から新聞をもって来て、銀子に読まし、新婦の生家が、倉持とは釣合《つりあい》の取れないほどの豪家であり、高利貸としてあまねく名前の通っていることを話して聞かせた。式は銀子が塩釜で遊んでいるころ、仙台の神宮で行なわれ、宮古川で披露《ひろう》の盛宴が張られたものだった。
十六
銀子の帰りが遅いので、分寿々廼家のお神と内箱のお婆《ばあ》さんとで、看板をもった車夫を一人つれて、河縁《かわべり》を捜しにやって来た時、銀子は桟橋《さんばし》にもやってある運送船の舳《みよし》にある、機関の傍《そば》にじっとしゃがんでいた。暗い晩で河風はまだ寒かった。河口に近く流れを二つに分けている洲《す》の方に、人家の灯《ひ》がちらちらしており、水のうえに仄《ほの》かな空明りが差して、幾軒かの汽船会社の倉庫が寒々と黒い影を岸に並べていた。
銀子は一年いるうちに、いつか嫌《きら》いであった酒の量も増していたが、その晩は少し自暴《やけ》気味に呷《あお》り、外へ出ると酔いが出て足がふらふらしていた。ちらちらする目で、彼女はざっと記事を読み、鉄槌《てっつい》でがんと脳天をやられたような気持で、煙草屋《たばこや》を出たのだったが、どうしても本家へ帰る顔がなく、二丁ばかりある道を夢中で歩いて、河縁へ出て来たのだった。
「馬鹿は死ななきゃ癒《なお》らない。」
棧橋に佇《たたず》んでいるうち、彼女は死の一歩手前まで彷徨《さまよ》い、じっと自分を抱き締めているのだったが、幼い時分|悪戯《いたずら》をして手荒な父に追われ、泣きながら隣の材木屋の倉庫に逃げこみ、じっとしているうちに、いつか甘い眠りに誘われ、日の暮れるのも知らずに熟睡していると同じに、次第に気が楽になり、ここへ来る時|桂庵《けいあん》の言った言葉も思い出せるようになった。
「いやになったらいつでも迎えに行ってあげる。芳町の姐《ねえ》さんも貴女《あんた》を待
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