。
「何でもないわよ。お客というほどのこともないのよ。たまに釜飯屋《かまめしや》を附き合うくらいなのよ。あの男は天下に釜飯くらいうまいものはないと言ってるくらいだもの。ただ東京へ行くから、何か家へ言伝《ことづて》がないかと煩《うるさ》くいうから、干物なんかことづけてやるだけなのよ。」
写真屋がわざわざ高野山まで採りに行ったという肺病の薬を、銀子はあの時妹に呑《の》ませるように、家へ送ったのだったが、父にきくと、あれを二罐|服《の》んですっかり快《よ》くなったから、あったらもう少し頼んでくれと言うのだったが、写真屋に話してみると、
「あああれかね、僕も来年の夏もう一度採りに行くかも知れんから、採って来たらやるよ。」
と言ったきりであった。
ある日も銀子が、みんなと食卓にすわって、三時ごろの昼御飯を食べていると、玄関続きの部屋の廊下に人影が差し、振り向いてみると、しばらく姿を現わさなかった倉持であった。
「まあ、おめずらしい。どうなすったかと、今も噂《うわさ》していたところですよ。」
お神はお愛想《あいそ》を言ったが、倉持は何となく浮かぬ顔で、もぞもぞしていたが、よく見ると彼は駱駝《らくだ》のマントの下に、黒紋附の羽織を着て、白い大きな帯紐《おびひも》を垂らしていた。
十五
河の氷がようやく崩れはじめ、大洋の果てに薄紫の濛靄《もや》が煙《けぶ》るころ、銀子はよその家の妓《こ》三四人と、廻船問屋《かいせんどんや》筋の旦那衆《だんなしゅう》につれられて、塩釜《しおがま》へ参詣《さんけい》したことがあった。塩釜は安産と戦捷《せんしょう》の神といわれ、お守りを受けに往《ゆ》くところだが、銀子たちには土地の民謡「はっとせい節」を郷土色そのままに、土地の芸者から受け容《い》れるという目当てもあった。松島は主人夫婦にもつれられ、客とも遠出をして、船のなかへ行火《あんか》を入れ、酒や麦酒《ビール》を持ちこんで、島々の間を漕《こ》ぎまわり、最近心中のあったという幾丈かの深い底まで見えるような、碧《あお》い水を覗《のぞ》いたのだったが、塩釜までのしたのは初めてであった。それも銀子が一座する芸者のなかに、塩釜育ちの妓があり、「はっとせい節」の話が出て故郷を思い出し、客に強請《せが》んだからであった。
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塩釜|街道《かいどう》に白菊うえて
何をき
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