、親爺は何でも言うことを聞いてくれ、小遣《こづか》いもつかえば映画も見て、わがままなその日が送れるので、うかうかと昼の時間を暮らすこともあり、あまり収入のよくない朋輩に、大束に小遣いをやってみたり、少し気分がわるいと見ると、座敷を勝手に断わらせもした。銀子は狡《ずる》いところもないので、親爺も大概のことは大目に見て、帳面をさせてみたり、金の出入りを任せたりしていたので、銀子も主婦気取りで、簿記台に坐りこみ、帳合いをしてみることもあった。東京の親へ金を送ることも忘れなかった。
銀子の父親はちょうどそのころ、田舎《いなか》に婚礼があり帰っていたが、またしても利根《とね》の河原《かわら》で馬を駆り、石に躓《つまず》いて馬が前※[#「※」は「足+「倍」のつくり」、第3水準1−92−37、385−上23]《まえのめ》りに倒れると同時に前方へ投げ出され、したたか頭を石塊《いしころ》に打ちつけ、そのまま気絶したきり、しばらく昏睡《こんすい》状患で横たわっていたが、見知りの村の衆に発見され、報告《しらせ》によって弟や甥《おい》が駈《か》けつけ、負《しょ》って弟の家まで運んで来たのだったが、顔も石にひどく擦《こす》られたと見え、※[#「※」は「骨+「權」のつくり」、385−下3]骨《けんこつ》から頬《ほお》へかけて、肉が爛《ただ》れ血塗《ちまみ》れになっていた。銀子もその出来事は妹のたどたどしい手紙で知っていたが、親爺に話して見舞の金は送ったけれど、かえって懲りていいくらいに思っていた。
銀子はわがままが利くようになったので、一つのことを拒みつづけながらも、時には不覚を取ることもあり、彼女の体も目立つほど大人《おとな》になって来た。
「お前のような教育のない者が、ああいう学者の奥さんになったところて、巧く行く道理がない。この商売の女は、とかく堅気を憧《あこ》がれるんだが、大抵は飽かれるか、つまらなくなって、元の古巣へ舞い戻って来るのが落ちだよ。悪いことは言わないから、家《うち》にじっとしていな。」
そんなことも始終親爺にいわれ、それもそうかとも思うのだった。
十一
三月のある日、藤本の庭では、十畳の廊下外の廂《ひさし》の下の、井戸の処《ところ》にある豊後梅《ぶんごうめ》も、黄色く煤《すす》けて散り、離れの袖垣《そでがき》の臘梅《ろうばい》の黄色い絹糸をくくった
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