々の行事になってしまったが、見る後から後から筋や俳優を忘れてしまうのであった。物によると見ていて筋のてんで解らないものもあって、彼女の解説が必要であった。
「さあ、もう遅いだろ。」
「そうね、じゃ早く帰って風呂《ふろ》へ入りましょう。」
銀子はでっくりした小躯《こがら》だが、この二三年めきめき肥《ふと》って、十五貫もあるので、ぶらぶら歩くのは好きでなかった。いつか奈良《なら》へ旅した時、歩きくたぶれて、道傍《みちばた》の青草原に、べったり坐ってしまったくらいだった。
銀子は途々《みちみち》車を掛け合っていたが、やがて諦《あきら》めて電車に乗ることにした。この系統の電車は均平にもすでに久しくお馴染《なじみ》になっており、飽き飽きしていた。
五
銀子の家《うち》は電車通りから三四町も入った処《ところ》の片側町にあったが、今では二人でちょいちょい出歩く均平の顔は、この辺でも相当見知られ、狭いこの世界の女たちが、行きずりに挨拶《あいさつ》したりすることも珍しくなかったが、均平には大抵覚えがなく、当惑することもあったが、初めほどいやではなくなった。それでも何か居候《いそうろう》のような気がして、これが自分の家という感じがしなかった。銀子も商売を始めない以前の一年ばかり、ここからずっと奥の方にあった均平の家へ入りこんでいたこともあって、子供もいただけに、もっといやな思いをしたのであったが、均平も持ちきれない感じで、「私はどうすればいいかしら」と苦しんでいるのを見ながら、どうすることもできなかった。そういう時に、自力で起《た》ちあがる腹を決めるのが、夙《はや》くから世間へ放《ほう》り出されて、苦しんで来た彼女の強味で、諦めもよかったが、転身にも敏捷《びんしょう》であった。今まではこの世界から足を洗いたいのが念願で、ましてこの商売の裏表をよく知っているだけに、二度と後を振り返らないつもりであったが、一度この世界の雰囲気《ふんいき》に浸った以上、そこで這《は》いあがるよりほかなかった。
「そう気を腐らしてばかりいても仕方がないから、ここで一つ思い切って置き家を一軒出してみたらどうかね。」
母が言うので銀子もその気になり、いくらかの手持と母の臍繰《へそく》りとを纏《まと》めて株を買い、思ってもみなかったこの商売に取りついたのだった。銀子の気象と働きぶりを知ってい
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