》の出窓の外が、三尺ばかり八ツ手や青木の植込みになっており、黒石などを配《あしら》ってあったが、何か自分のことらしいので、銀子は足を止めて耳を澄ましていたが、六感で静岡の岩谷《いわや》だということが感づけた。
「……は、ですけれどとにかく今松ちゃんはいないんですよ。もう帰って来るとは思いますけれど、帰ってみなければ何とも申し上げかねますんですよ。何しろ近い所じゃありませんから、同じ遠出でも二晩のものは三晩になり五晩になり、この前のようなことになっても、宅で困りますから。」
 しかし話はなかなか切れず、到頭松島がとんとん二階からおりて来て、いきなり電話にかかった。
「先は理窟《りくつ》っぽい岩谷だから、父さんも困っているらしいんだけれど、何とかかとか言って断わっているのよ。」
 岩谷はある大政党の幹事長であり、銀子がこの土地で出た三日目に呼ばれ、ずっと続いていた客であった。議会の開催中彼は駿河台《するがだい》に宿を取っていたが、この土地の宿坊にも着替えや書類や尺八などもおいてあり、そこから議会へ通うこともあれば、銀子を馴染《なじみ》の幇間《ほうかん》とともに旅館へ呼び寄せることもあった。銀子は岩谷に呼ばれて方々遠出をつけてもらっていたが、分けの芸者なので、丸抱えほど縛られてもいず、玉代にいくらか融通を利かすことも、三度に一度はしていた。長岡とか修善寺《しゅぜんじ》などはもちろん、彼の顔の利く管内の遊覧地へ行けば、常子がいうように、三日や五日では帰れなかったが、銀子も相手が相手なので、搾《しぼ》ることばかりも考えていなかった。
 岩谷は下町でも遊びつけの女があり、それがあまり面白く行かず、気紛《きまぐ》れにこの土地へ御輿《みこし》を舁《かつ》ぎ込んだものだったが、銀子がちょっと気障《きざ》ったらしく思ったのは、いつも折鞄《おりかばん》のなかに入れてあるく写真帖《しゃしんちょう》であった。
 写真帖には肺病で死んだ、美しい夫人の小照が幾枚となく貼《は》りこまれてあり、彼にとっては寸時も傍《そば》を離すことのできない愛妻の記念であった。妻は彼の門地にふさわしい家柄の令嬢で、岩谷とは相思のなかであり、死ぬ時彼に抱かれていた。写真帖には処女の姿も幾枚かあったが、結婚の記念撮影を初めとして、いろいろの場合の面影が留《とど》めてあった。銀子のある瞬間が世にありし日の懐かしい夫人の感
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