、区役所の兵事課へ突然車をおつけになって、小野|某《なにがし》と云う者が、田舎の何番地にいる筈だが、そこへ案内しろと仰ったそうです。兵事課じゃ、何か悪いことでもあったかと吃驚したそうでござえんすがね、何々然云う訳じゃねえ、其小野某と云う者の家に、大瀬上等兵の親御がある筈だ、その老人《としより》に逢わしてくれと云うんで、その時そのお二方は、手前とこまでお訪ね下すったが、私は外へ出ていてお目に掛りませんでした。
 お二方はそれから駒込の菩提寺をお尋ねになって、晴二郎の墓へお詣り下すったうえに、お経料までおいてお出になったそうでね。」
「お爺さんにお金が沢山下ったでしょうね。」上さんは泣出す乳呑児を揺りながら訊いた。
「一時賜金が百三十円に、年金が四十八円ずつでござえますがね。参謀本部へ、一時金を受けに行くと、そこにいた掛の方が、
『大瀬晴二郎の父親の吉兵衛と云うのあお前か』と云うんです。へえ、さようでござえんすと申しあげると、晴二郎は内地で死んだんだから、金は下げる訳にいかん、帰れ帰れと恁《こ》う云うんでしょう。
 私も為方ないから、へえ然《さ》ようでござえんすか、実は然云うお達があったもんですから出ましたような訳でと、然う云うとね、下役の方が、十二枚づつ綴じた忰の成績書をお目にかけて、何かお話をなすっていましたっけがね、それには一等一等と云うのが、何でも幾枚もあったようでしたよ。」  
「秋山大尉の方は、それ限《きり》かね。」
「秋山さん方かね。此方の揚ったのは、忰の骨揚げのすんだ翌日でしたっけがね、私も詳しいことも知らねえが、△△中の船頭を一週間買いあげて、捜したそうです。これは×××大将の方からも、入費が出たそうで……その骨揚の日には、私も寄ばれましたっけが、忰の筺《かたみ》の品を二品ほしいと仰ゃるんで、上等兵になった時の写真を二枚持ってまいりましたがね、その時の儀式と云うものが大変なもんでした。
 ××大将は戦地へ出向く連中から、電報を御覧になって引還してお出でになって、私もその時お目にかかったがね。広い書院は勲章や金モールの方で一杯だ。そこへ私にも出ろと仰ゃって下さるんだけれど、何ぼ何でも状《ざま》が状だから出る訳に行きゃしねえ。
 するとお前さん、大将が私の前までおいでなすって、お前にゃ単《たっ》た一人の子息《むすこ》じゃったそうだなと、恐入った御挨拶でござえんしょう。見れア忰の位牌を丁《ちゃん》と床の間に飾ってお膳がすえてあると云う訳なんだ。坊さんは、××大将は浄土だが、私は真言だからというので、わざわざ真言の坊さんを二人まで呼んで、忰のためにお經をあげて下すったがやすよ。
 それから、つい近年まで、法事のあるたんびに、日が同じだからと云うんで、忰の方も一緒にお供養下すって、供物がお国の方から届きましたが、私もその日になると、百目蝋燭を買って送ったり何かしたこともござえんしたよ。
 ……それで仲間の奴等時々私を揶揄《からか》いやがる。息子《むすこ》が死んでも日本が克《か》った方がいいか、日本が負けても、子息が無事でいた方が好いかなんてね。莫迦にしてやがると思って、私も忌々しいからムキになって怒るんだがね。」
 悼《いた》ましい追憶に生きている爺さんの濁ったような目にはまだ興奮の色があった。
「まるで活動写真みたようなお話ね。」上さんが、奥の間で、子供を寝かしつけていながら言い出した。
「へえ……これア飛んだ長話をしまして……。」やがて爺さんは立てていた膝を崩して柱時計を見あげた。
「私も、これからまた末の女の奴を仕上げなくちゃなんねえんだがね、金のなくなる迄にゃ、まア如何にか物になろうと思うんで……。」爺さんは然う言って、火鉢の側から離れた。
[#地より3字上がり](一九一二年二月「新潮」)



底本:「日本プロレタリア文学大系(序)」三一書房
   1955(昭和30)年3月31日初版発行    
   1961(昭和36)年6月20日第2刷
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2001年12月17日公開
青空文庫ファイル:
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