になって来ると、近所にいた友人の画家を誘って、喫茶店の最初の現われとも言える、ミルク・ホウルともフルウツ・パラアともつかない一軒の店で、パイン・アップルを食べたり、ココアを飲んだりした。ある夜は寄席《よせ》へ入って、油紙に火がついたように、べらべら喋《しゃべ》る円蔵の八笑人や浮世床を聴《き》いたものだった。そうしているうちに、彼は酷《ひど》い胃のアトニイに罹《かか》った。
「あれから何年になるか。」
 彼は振り返った。
 神保町の賑《にぎ》やかな通りで、ふとある大きな書店の裏通りへ入ってみると、その横町の変貌《へんぼう》は驚くべきもので、全体が安価な喫茶と酒場に塗り潰《つぶ》されていた。透かして視《み》ると、その垠《はずれ》に春光館と白く染めぬいた赤い旗が、目についたので、庸三はどうせ無駄だとは思ったが行って見た。するとその貧弱なバラック建の下宿兼旅館の石段を上がって、玄関へ入って行った彼の目の前に、ちょうど階段の裏になっている廊下の取っ着きの、開きの襖《ふすま》があいていて、その部屋の入口に、セルの単衣《ひとえ》を着て、頭の頂点で彼女なりに髪を束ねた葉子が、ちょこなんと坐っていた。ほ
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