んだがね。僕も実はどうしようかと思っている。」
「田舎へ何しにいらしたんですの。」
「子供を継母の手から取り戻すためらしいんだ。」
 そして庸三はこの事件のデテールズについて、何かと話したあとで、
「貴女《あなた》はどうしてこんな商売を始めたんです。」
「私もいろいろ考えたんですの。クルベーさんも、もう少し辛抱してくれれば、もっとどうにかすると言ってくれるんですけれど、あの人も大きな山がはずれて、ちょっといけなくなったもんですから。」
 クルベーという独逸《ドイツ》の貴族は、新しい軍器などを取扱って盛大にやっていたものらしいが、支那の当路へ軍器を売り込もうとして、財産のほとんど全部を品物の購入や運動費に投じて、すっかりお膳立《ぜんだ》てが出来たところで、政府筋と支那との直接契約が成立してしまった。そこまで運ぶのに全力を尽した彼の計画が一時に水の泡《あわ》となってしまった。その電報を受け取った時、彼はフジヤ・ホテルで卒倒してしまった。
 しかし小夜子は今そんなことを初対面の彼に、打ち明けるほど不用意ではなかった。クルベーとの七年間の花々しい同棲《どうせい》生活については、彼女はその後折にふれて口の端《は》へ出すこともあったし、一番彼女を愛しもし、甘やかしもしてくれたのは何といってもその独逸の貴族だったことも、時々|憶《おも》い出すものらしかったが、今は彼女もその愛の囚《とりこ》に似た生活から脱《のが》れ出た悦《よろこ》びで一杯であった。
「貴女の過去には随分いろいろのことがあったらしいね。」
「私?」
「新橋にいたことはないんか。」
「いました。あの時分文芸|倶楽部《クラブ》に花柳界の人の写真がよく出たでしょう。私のも大きく出ましたわ。――けどどうしてです。」
「何だか見たような気がするんだ。いつか新橋から汽車に乗った時ね、クションに坐りこんで、しきりに刺繍《ししゅう》をやっている芸者が三人いたことがあるんだ。その一人に君が似ているんだ。まだ若い時分……。」
「刺繍もやったことはありますけれど……。何せ、私のいた家《うち》の姐《ねえ》さんという人が、大変な人で、外国人の遺産が手に入って、すっかり財産家になってしまったんです。お正月のお座敷へ行くのに、正物《ほんもの》の小判や一朱金二朱金の裾模様《すそもよう》を着たというんでしたわ。それでお座敷から帰ると、夏なんか大した
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