に火花を散らして書き立てた結果だということが解《わか》るし、母や兄がまたどんなに困っているかということも想像できるので、不断の葉子なら遠くからやって来たこの父親を、そのまま帰すはずもなかったが、彼の姿を見ると、ちょっと頬《ほお》を染めただけで、顔も見せないようにしていた。少し離れていた庸三も見て見ぬふりをしていた。
「縁談があるんですって。」
 葉子は言っていたが、東京では若い人たちに騒がれていた、いつも葉子に忠実であった彼女も、汽車の時間の都合で、挨拶《あいさつ》する隙《ひま》もなく連れて行かれてしまったのであった。
 葉子が玄関わきのサロンで黒須に逢《あ》っているあいだ、庸三は奥の座敷で莨《たばこ》をふかしていた。二人の話し声が聞こえ、軽い葉子の笑い声もしたが、何を話しているかは解らなかった。
「カフエでも出すなら、金はどうにでもする。貴女《あなた》ならきっとさかるに違いない。――あの人そんなこと言ってるの。」
 黒須を帰してから葉子は庸三の傍《そば》へ来て言うのであった。
「でもあの人たちとうっかり組めないくらいのことは、私にだって分かっているわ。」
 葉子は笑っていた。
「そうそう、あの男あの事件の直後、僕の留守へ三四人でやって来て、ひどく子供を脅《おど》かして行ったそうだよ。留守をつかうんだろうとか、お前の親父《おやじ》の名声ももう地に墜《お》ちたとか言って……。あの朝の旅館の会見が、悪い印象を与えたんだ。あの恋愛も、僕が君の背後にいて画策したんだというふうに気を廻してしまったんだ。」
「今は何でもないんだけれど。」
 庸三もあの時、新聞社の客間では、お互いに笑って会釈したくらいだった。
 日暮方になると、二人は何か憂鬱《ゆううつ》になった。二人きりの世界の楽しい瞬間もあるにはあったが、永く差し向いでいるときまってやり場のない鬱陶《うっとう》しさを感ずるのが、庸三の習癖であった。理由もなく何か満ち足りない感じがいつもしていたし、世間からの呪詛《じゅそ》や、子供たちの悩みも思われて、彼の神経はいつも刃物をもって追い駈《か》けられているにも比《ひと》しい不安に怯《おび》えていた。それでなくとも、眩惑《げんわく》の底に流れているものは、いつも寂しい空虚感で、それを紛らすためには、絶えず違った環境が望ましかった。
「ちょっとホテルヘ行ってみない?」
 葉子は誘った
前へ 次へ
全218ページ中166ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング