「じゃ車言ってもらおう。」
 小夜子が浪速《なにわ》タキシイへ電話をかけた。

 安栄旅館の路次口で車を降りてみると、今さら夜の更《ふ》けているのに気がついた。彼は近頃時間の観念を亡くしていたので、特に夜が短かった。
 葉子が路次口から現われて来て、ふらふらと幻のように彼に近づいて来た。
「私今メイフラワにいるんですのよ。」
「どうして?」
「旅館ではちょっと都合が悪いのよ。先生だって危険よ。」
「どうしてだろう。」
「黒須さんが私たちを誤解しているのよ。先生も共謀《ぐる》でやってる仕事だというふうに。」
「ヘえ。」
「でも、ちょっと上がって。マダムいい人よ。」
 庸三は誘われるままに、その美容院の中へ入って行った。こちらにいる時分、時折葉子が来ていた家で、犬好きなマダムと懇意にしていた。レストオランのマネイジャをしている主人が、時々横浜からやって来るということも、庸三は彼女から聴《き》かされていた。いつか生後三月ばかりのフォックステリアを、動物好きな咲子のために貰《もら》って来たこともあった。
 マダムは住居《すまい》の方で、もう寝ていたが、弟子たちがお茶をもって来てくれたりした。
 葉子は神経が亢《たか》ぶっていて、落着きがなかった。
「どこかへ行きましょうよ。私さっきちょっとお宅へも行ってみたのよ。すると一時間ほど前に権藤さんが旅館へやって来て、先生んとこの庄治さんが今お酒に酔って、貴女《あなた》をやっつけると言ってるというのよ。とにかく出ましょう。こちらも迷惑よ。」
 二人はまた外へ出た。通りでは店屋《みせや》はどこも締まっていた。横町のカフエや酒場からの電燈の光が洩《も》れているきりだった。スピイドをかけた自動車が、流星のように駒込《こまごめ》の方へと通りすぎた。そのうちに空車が一台やっと駒込の方からやって来たので、急いでそれに乗った。
 乗り入れたのは、西北の方角に当たる町なかの花柳地だったが、時間過ぎなのでどこも森《しん》としていた。葉子は広い通りに露出《むきだ》しになっている、一軒の家の前で車をおりて、勝手口の方へまわって、「おばさん、おばさん」と言って、木戸を叩《たた》いていたが、しばらくしてから内から返辞があった。
「私来たことあるのよ。解《わか》るでしょう。でも蔑視《さげす》まないでね。」
 そう言われて、庸三はたちまちあの青年|一色《いっしき
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