いので、庸三はほんの少しばかり食べものを通したきりであった。葉子はそわそわ落ち着かなかった。
「権藤さんいやな人! 何か私たちの生活を内偵《ないてい》しにでも来たように、それは横柄な態度なのよ。」
 庸三は狡《ずる》そうにただ笑っていた。
「私たちのことは、当分新聞社へ何もお話しにならないようにね。」
「それは僕もそのつもりで……。」
「あの兄さんと言っても、従兄《いとこ》ですけれど――黒須《くろす》という人がいるのよ。もと外務省畑の人で、今は政党関係の人らしいわ。乾分《こぶん》も多勢《おおぜい》あるらしいの。でも立派な紳士よ。その人が園田家のことは、何でも相談に乗っているという関係から、今度のこともその人が引き受けてくれているの。いずれ時機を見てお父さんにも承諾させるが、差し当たり牛込《うしごめ》にある家が売れると、そのうちの一万か二万かの金をそっと融通するから、当分それで家庭をもつようにしようと、そう言ってくれるのよ。その人、奥さんと鵠沼《くげぬま》にいますけれど、ちょっといい暮しよ。奥さんも教養のある人よ。」
 庸三の耳には、あまり愉快にも響かなかったが、葉子がそうした落着き場所を得たことは、悪い気持ではなかった。
「素敵だな。」
「でも今は困るの。あの人財布を投げ出して行ってくれはしますけれど、それに手を着けたかないの。何かがつがつしているようで、さもしい感じでしょう。あの人たちお金に苦労したことのない人だけに、なおさらなの。」
 それから株や何かで暮らしている両親たちの生活の外廓《がいかく》を、彼女なりの観察の仕方で話しながら、煮立っている鳥には、ろくろく箸《はし》もつけなかった。そして金を受け取ると、無造作にハンドバッグのなかへ押しこんで、
「今度またゆっくりお話ししますわ。今日はこれで失礼さしていただいてもいいでしょう。」
 庸三は頷《うなず》いた。
 起《た》ちかける葉子は彼の体に寄って来た。別れのキスでもしようとするように。庸三はあわてて両手でそれを遮《さえ》ぎりながら身をひいた。

      十九

 庸三がもしも物を書く人間でなかったら――言い換えれば常住人間を探究し、世の中の出来事に興味以上の関心を持つことが常習になっていない、普通そこいらの常道的な生活を大事にしている人間だったら、葉子に若い相手ができた後までも、こうも執拗《しつよう》に彼
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