」
黒い髪の陰に濡《ぬ》れ色をした大きい目を見ながら、庸三は多分隔日くらいにガアゼを取り替えに来て、ずうと子供の時から知ってでもいた人のように、何かと甘えた口の利き方をする葉子に、揶揄《からか》い半分応酬しているであろうK――博士《はかせ》のことが心に浮かんだ。
「先生今お忙しい?」
「いや格別。」
「先生という人薄情な人ね。」
葉子の顔は嶮《けわ》しくなった。
「どうして?」
「いいわ。先生の生活は先生の生活なんですから。」
庸三も疳《かん》にさわったが、黙っていた。
「女が病院へでも入ってる場合には、男ってものはたまにお金くらい持って来るものよ。」
「金が必要だというんだね。」
「決まってるじゃないの。」
葉子があまり刺々《とげとげ》しい口を利くので、負《ひ》け目《め》を感じていた庸三は、神経にぴりっと来た。
ちょうどそのころ彼女は、彼女の態度に失望して帰って行った秋本から、長い手紙を受け取っていた。今まで気儘《きまま》にふるまっていた、彼女の月々の生活費の仕送りも、事によると途絶えるかも知れないのであった。彼女は気を腐らしていた。そこへ何も知らない庸三が初めて友達と一緒に現われた。鬱憤《うっぷん》が爆発してしまった。
庸三は二度と彼女を見舞わない腹で、棄《す》て白《ぜりふ》をのこして病室を出た。彼は手術当時の彼女の態度にすっかり厭気《いやけ》が差していた。彼女を憎んでもいた。
「あいつは何か始終たくらんでいる女なんだ。」
庸三は途々《みちみち》山村に話した。
「うむ、そうだ。ちょっと剣があるんだ。」
二三日してから、庸三はそれでも印税の前借りの札束を懐《ふとこ》ろにして、再び病室を訪れた。彼はほかのことはともあれ、別れた場合金のことで葉子側の人たちからかれこれ非難されることを恐れた。それにもし書く場合があるとしたら……彼はそこまで考えていた。表面葉子は八方から非難の矢を浴びせられていたとは言え、非難する人たちのなかにも、葉子に関心をもつものの少なくないことも庸三に解《わか》っていた。
厚ぼったい束が、彼の懐ろから葉子の手に渡された。彼女はべらべらとそれをめくっていたが、二十枚も取ると、剰余《あと》をそっくり庸三に返した。
「すみません。」
「どうしまして。」
庸三は病院中の噂《うわさ》になることを恐れていたし、また何か初まっていそうに思え
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