っていたこともなかったが、庸三も少し酔っていたので、何かの弾《はず》みで一緒に自動車に載せて家へつれて来た。小夜子が新らしい庸三の部屋へ入るのは、今夜に限ったことでもなかったが、葉子の留守宅の二階からすぐ見下ろされるような門を二人で入った時には、庸三も自身の気紛《きまぐ》れな行為に疑いが生じた。かつての庸三夫婦もお互いに牽制《けんせい》され合っているにすぎなかったとは言え、口を利かないものの力も、まるきり無いわけには行かなかった。
 小夜子を奥へ通すと、ちょうど遊びに来ていた青年作家の一人と一緒に、長男の庸太郎も出て来て、面白そうに酔った小夜子を見ていた。小夜子は握り拳《こぶし》で紫檀《したん》の卓を叩《たた》きながら、廻らない舌で何か熱を吹いていた。
「私は三十三なんだ。」
 と、それだけが庸三の耳にはっきり聴《き》き取れるだけで、何をきいても他哩《たわい》がなかった。
 間もなく彼女はふらふらと立ちあがった。
「お前ちょっと送ってくれないか。」
 庸三は子供に吩咐《いいつ》けたが、送って応接室まで出て行くと、小夜子はふと立ち停《ど》まって、誰という意識もなしに、発作的に庸三の口へ口を寄せて来た。やがて玄関へおりて行った。
 四十分もすると庸太郎が帰って来た。
「面白いや、あの女。」
「どうした。」
「番町の独逸人の屋敷へ行くというから、一緒に乗りつけてみると、ドアがぴったり締まっているんだ。いくら呼び鈴を押しても、叩いても誰も出てこないもんだから、あの人|硝子戸《ガラスど》を叩き破ったのさ。出て来たのは立派な禿頭《はげあたま》の独逸人でね、暴《あば》れこもうとするのを突き出すのさ。そして僕の顔を見て、貴方《あなた》は紳士だから、この酔っぱらいを家まで連れて行ってくれ。こんなに遅く、戸を叩いたりして外聞が悪いからと言うもんだから、まあ宥《なだ》めて家まで送りとどけたんだけれど、自動車のなかで滅茶《めちゃ》苦茶にキスされちゃって……。手から血が流れるし、ハンケチで括《くく》ってやったけれど。いや、何か癪にさわったことがあるんですね。――それにしても、あの独逸人は綺麗《きれい》なお爺《じい》さんだな。」
 庸三は黙って聞いていた。

 ある日古い友達の山村が、ふと庸三の部屋へ現われた。作家であった山村は瀬戸物の愛翫癖《あいがんへき》があったところから、今は庸三の家から
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