》の同意の下に、秋本の宿を訪問すべく、少し濃いめの銀鼠地《ぎんねずじ》にお納戸色《なんどいろ》の矢筈《やはず》の繋《つな》がっている、そのころ新調のお召を着て出て行った。多少結核性の疑いもあるらしい痔疾《じしつ》のためか、顔が病的な美しさをもっていて、目に潤《うる》んだ底光りがしていた。少なからぬ生活費を遠くにいる秋本に送らせながら、身近かにいる庸三に奉仕しているということが、たといそれが小説修業という彼女の止《や》みがたき大願のためであり、その目的のためには有り余る秋本の財産の少し減るぐらいは、大した問題ではないにしても、時々には秋本を欺いていることに自責の念の禁じ得ないこともあって、それが痔の痛みと一緒に、ひどく彼女の神経を苛立《いらだ》たせた。同時に葉子の体を独占的に縛っているかのように思える庸三が、ひどく鈍感で老獪《ろうかい》な男のように思えて、腹立たしくもなるのであった。傍《はた》からの目には、とかく不純だらけのように見えるであろう彼女の行為も、彼女自身からいえば、現われ方は歪《ゆが》んでいても、それは複雑で矛盾だらけの環境と運命のせいで、真実《まこと》は思いにまかせぬ現実の生活のために、弱い殉情そのものが無残に虐《しいた》げられているのだと思われてならなかった。いわば彼女の殉情と文学的情熱とは、現実の蜘蛛《くも》の巣にかかって悶《もだ》えている、美しい弱い蝶《ちょう》の翅《はね》のようなものであった。
「そんなに金を貰《もら》ってもいいのか。」
 二百三百と、懐《ふとこ》ろがさびしくなると、性急に電報|為替《がわせ》などで金を取り寄せていることが、そのころにはだんだん露骨になって、見ている庸三も気が痛むのであった。
「いいのよ、有るところには有るものなのよ。」
「いや、もう大して無いという話だぜ。」
「ないようでも田舎《いなか》の身上《しんしょう》っていうものは、何か彼《か》か有るものなのよ。」
 葉子は楽観していたが、送ってくれる金の受取とか礼状とかいったようなものも、なかなか書かないらしいので、庸三はそれも言っていた。
「だから私困るのよ。手紙を出すとなると、あの人が満足するように、いくらか艶《つや》っぽいことも書かなきゃならないし、書こうとすれば、先生の目はいつも光っているでしょう。」
 そう言って葉子は苦笑していたが、わざと庸三の前で、達筆に書い
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