ごみ方を考えると、寝てもいられないような気にもなるのであった。
着物を着かえて、ステッキを掴《つか》んで門を出ると、横町の角を曲がった。すると物の十間も歩かないうちに、にこにこ笑いながらこっちへやって来る彼女の姿に出逢《であ》った。古風な小紋の絽縮緬《ろちりめん》の単衣《ひとえ》を来た、彼女のちんまりした形が、目に懐かしく沁《し》みこんだ。
葉子は果して慈父に取り縋《すが》るような、しおしおした目をして、しばらく庸三を見詰めていた。
「先生、若いわ。」
まだ十分恢復もしていないとみえて、蚕《かいこ》のような蒼白《あおじろ》い顔にぼうッと病的な血色が差して、目も潤《うる》んでいた。庸三は素気《そっけ》ないふうもしかねていたが、葉子は四辻《よつつじ》の広場の方を振り返って、
「私、女の子供たちだけ二人連れて来ましたの。それに女中も一人お母さんが附けてくれましたわ。さっそく家を探さなきゃなりませんわ。」
そう言って自動車の方へ引き返して行くと、その時車から出て来た幼い人たちと、トランクを提《さ》げた女中とが、そこに立ち停《ど》まっている葉子の傍《そば》へ寄って来た。
「さあ、おじさんにお辞儀なさい。」
子供たちはぴょこんとお辞儀して、にこにこしていたが、この子供たちを纏《まと》めて来て、新らしい生活を初めようとする母親の苦労も容易ではなかった。それも物事をさほど億劫《おっくう》に考えない、夢の多い葉子の描き出した一つの芸術的生活構図にすぎなかった。
庸三が三十年も住み古しの狭い横町と並行した次ぎの横町に、すぐ家が見つかって、庸三の裏の家に片着けてあった彼女の荷物――二人で一緒に池の畔《はた》で買って来たあの箪笥《たんす》と鏡台、それに扉《とびら》のガラスに桃色の裂《きれ》を縮らした本箱や行李《こうり》、萌黄《もえぎ》の唐草《からくさ》模様の大風呂敷《おおぶろしき》に包まれた蒲団《ふとん》といったようなものを、庸三の頼みつけの車屋を傭《やと》って運びこむと、葉子も子供たちを引き連れて、隣の下宿を引き揚げて行った。
大家族主義の田舎の家に育った葉子のことなので、そこに初めて子供たちと一つの新らしい自分の世界をもつことは、何といっても楽しいことに違いなかった。田舎の家もすでに母の心のままというわけにも行かない。相続者の兄家族は辺鄙《へんぴ》にあるその家を離れて、
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