おもや》の方へ出て行くこともあって、しばらく帰って来ないのであったが、帰って来たときの素振りには別に変わったところもなかった。
「私を信用できないなんて、先生もよくよく不幸な人ね。」
葉子は言うのだったが、それかと言って、場所が場所だけに、争闘はいつも内攻的で、高い声を出して口論するということもなかった。
やがてその痔が急激に腫れあがって、膿《うみ》をもって来たのであった。
庸三は傍《そば》に寝そべっているのにも気がさして、蚊帳を出ようとすると、彼女は夢現《ゆめうつつ》のように熱に浮かされながら、
「もうちょっと居て……。」
と引き止めるのであった。
朝になると、彼女も少し落ち着いていて、狭い露路庭から通って来る涼風に、手や足やを嬲《なぶ》らせながら、うつらうつらと眠っているのだったが、それもちょっとの間の疲れ休めで、彼女がある懇意な婦人科のK氏に診《み》てもらいに行ったのは、まだ俥《くるま》でそろそろ行ける時分で、痛みも今ほど跳《と》びあがるほどではなかったし、熱も大したことはなかった。それがてっきり痔瘻だとわかったのは、その診察の結果であったが、今のうち冷し薬で腫れを散らそうというのが、差し当たっての手当であったが、腫物はかえって爛《ただ》れひろがる一方であった。そこで、今日になって葉子は別に、これも日頃懇意にしている文学好きの内科の学士で、いつか庸三をつれて病院の棟《むね》続きのその邸宅へ遊びに行ったこともある院長にも来てもらうことにした。
その先生が病院の回診をすましてから、俥でやって来た。その時葉子の寝床は、不断母親の居間になっている、茶の間の奥の方にある中庭に臨んだ明るい六畳に移され、庸三も傍に附き添っていた。彼は診察の結果を聞いてから、ここを引き揚げたものかと独りで思い患《わずら》っていたが、痛がる下の腫物を指で押したり何かしていた院長は、
「もう膿《う》んでいる。これは痛いでしょう。」
と微笑しながら、
「あんた手術うけたことありましたかね。」
「北海道でお乳を切ったんですのよ。また手術ですの、先生。」
「これは肛門《こうもん》周囲炎というやつですよ。こうなっては切るよりほかないでしょうね。」
「外科の病院へ行って切ったもんでしょうかね。」
「それに越したことはないが、なに、まだそう大きくもなさそうだから、Kさんにも診てもらったというな
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