目の先を歩いて行ったが、どんな家《うち》へ入って行ったかは、よく見極《みきわ》められなかった。それがクルベーの邸宅であることは、ずっと後に解《わか》った。
暑い盛りの歌舞伎座は、そう込んでいなかった。俳優の顔触れも寂しかったし、出しものもよくはなかった。庸三は入口で、顔見しりの芝居道の人に出逢《であ》ったが、廊下でも会社の社長の立っているのを見た。小夜子が紹介してくれというので、ちょいと紹介してから、二階へあがって行ったが、そうやって、前側にすわって扇子をつかっている小夜子の風貌《ふうぼう》は、広い場内でも際立《きわだ》つ方であった。でも何の関係もないだけに、葉子と一緒の時に比べて、どんなに気安だか知れなかった。
二人は楽しそうに、追々入って来るホールの観客を見降ろしながら、木の入るのを待っていた。
到頭ある日葉子から電報が来た。月|蒼《あお》く水|煙《けぶ》る、君きませというような文句であった。
庸三はもう二週間もそれを待ちかねていた。絶望的にもなっていた。いきなり彼女の故郷へ踏みこんでいって、町中《まちなか》に宿を取って、ひそかに動静を探ってみようかなぞとも考えたり、近所に住んでいる友人と一緒に、ある年取った坊さんの卜者《うらないしゃ》に占ってもらったりした。彼はずっと後にある若い易の研究者を、しばしば訪れたものだったが、その方により多くの客観性のあるのに興味がもてたところから、自身に易学の研究を思い立とうとしたことさえあったが、老法師のその場合の見方も外れてはいなかった。占いの好きなその友人も、何か新しい仕事に取りかかる時とか、または一般的な運命を知りたい場合に、東西の人相学などにも造詣《ぞうけい》のふかい易者に見てもらうのが長い習慣になっていた。支那出来の三世相《さんぜそう》の珍本も支那の古典なぞと一緒に、その座右にあった。
「梢を叩《たた》き出してもかまわない。おれが責任をもつ。」
そう言って庸三の子供たちを激励する彼ではあったが、反面では彼はまた庸三の温情ある聴《き》き役でもあった。
老法師は庸三たちの方へ、時々じろじろ白い眼を向けながら不信者への当てつけのような言葉を、他の人の身の上を説明している時に、口にするのであったが、順番が来て庸三が傍《そば》へ行くと、不幸者を劬《いた》わるような態度にかえって、叮嚀《ていねい》に水晶の珠《たま》を
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