のをしたりして、それは其の場きりのものだけれど、その子供を貰ふ予約をしたりするくらゐだつたから、母親に手を引かれて行く子供を看《み》ると、別にそれが綺麗な子でなくても、ぽちや/\肥つてさへゐれば、蓮見《はすみ》に何とか話しかけて振顧《ふりかへ》るのであつた。
「あたい一度子供産んでみたい。」
「いや、真平《まつぴら》だ。」
「療治すれば出来るといふわ、森元さんが……。」
「その時は相手をかへなけあ。」
子供が産めない躯《からだ》だといつてゐた蓮見の死んだ妻は、こんなに沢山の子供を次ぎ次ぎに産みのこして、大きくなつてしまへば、経済や何かの問題は兎《と》に角《かく》として、感情のうへでは別に何でもないやうなものの、人の赤ん坊を見てさへ、彼はうんざりするのであつた。それに生きてゐるうちに、子供の一人々々は何とか片が着かなければならないのが、普通人間の本能であるらしかつた。子供の運命が自身の寿命と生活力の届かないところへ喰《は》み出ることは、誰しも苦痛であつた。母性愛はそれに比べると動物的なものらしいのであつた。
兎に角|圭子《けいこ》は一人の子供をもらふことにしてしまつた。それはちやうど
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