畳へ入つて、寝床に就いた。
 翌朝九時頃に、圭子が戸を開けに下へ下りて行くと、昨夕たしかにかけた戸の鍵が下つてゐた。多分咲子が明けたのだらうと思つて、讃めてやるつもりで、二畳の障子をあけて見ると、咲子の頭は見えないで、何か潜《もぐ》りこんでゐるやうな、蒲団が丸く脹《ふく》れてゐた。
「咲子!」
 圭子が声かけて、窃《そつ》とめくつて見ると、咲子はゐないで、敷蒲団は一杯の洪水であつた。多分昨夕の蓮見の話で、寝小便やお灸《きう》のことばかり夢みてゐたので、こゝへ来てから長いあひだの経験か父親の戒《いまし》めかで、夜になると湯水を怺《こら》へてゐたせゐで、一度も失敗《しくじ》つたことのなかつたのが、つい取りはづしたものらしかつた。
 そして其きり彼女は姿を見せなかつた。
 兄の運転手の細君につれられて、彼女が救世軍の手に取りあげられたことが解つたのは、それから五日ばかり経つてからであつた。
 咲子は今どこに何をしてゐるか。社会局の人の話によれば、圭子に引取つてもらひたいが、引取る意思がなければ、健康診断をした上、児童保護所へでも送りこむより外、道がなかつた。そして其が太鼓をたゝいて、巷《ちまた》に慈善を哀求してゐる救世軍の仕事なのであつた。この救世軍の仕事は、社会生活の根本へ遡《さかのぼ》ることをしないで、さうした現象に対して到《いた》るところの抱へ主に個人的な私刑を課するやうなものだつた。――無論圭子は引取りはしなかつた。
[#地から1字上げ](昭和十年六月)



底本:「現代文学大系 11 徳田秋聲集」筑摩書房
   1965(昭和40)年5月10日発行
初出:「改造」
   1935(昭和10)年6月
入力:高柳典子
校正:土屋隆
2007年4月24日作成
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