かと云ふ気もして、ちやうど「女給募集」の立看板の出てゐるのを力に、いきなり月魄《つきしろ》へ飛びこんだ訳だつた。
 カフヱ通ひは木山も何うにか承知した形だつたが、実は承知するも、しないもなかつた。呑気《のんき》ものの木山に寄りかかつてゐたのでは、永年の願望であり、漸《やうや》く思ひがけない廻り合せで、それも今になつて考へると、若い同士のふわふわした気分で、ちやうど彼女も二千円ばかりの借金を二年半ばかりで切つてしまつて、漸《やつ》と身軽な看板借りで、山の手から下町へ来て披露目《ひろめ》をした其の当日から、三日にあげず遊びに来た木山は、年も二つ上の垢ぬけのした引手茶屋の子息《むすこ》の材木商と云ふ条件も、山の手で馴染《なじ》んだ代議士とか司法官とか、何処其処の校長とか、又は近郊の地主、或ひは請負師と云つた種々雑多の比較的肩の張る年配の男と違つた、何か気のおけない友達気分だつたので、用事をつけては芝居や活動へ行つたり、デパートでぽつ/\世帯道具を買ひ集めて、孰《どつち》も色が浅黒いところから、長火鉢は紫檀《したん》、食卓も鏡台も箸箱《はしばこ》も黒塗りといつた風の、世帯をもつ前後の他愛のない気分や、木山が遊び半分親店へ通つてゐる間に、彼女自身は裁縫やお花などを習ふ傍《かたは》ら、今迄の玉帳とはちがつた小遣帳をつけたり、婦人雑誌やラヂオで教はつた惣菜《そうざい》料理を拵へたり、初めてもつて見た自分の家や世帯道具を磨き立てたりしてゐた一年半ばかりの楽しさも、小説か映画にでもありさうな夢でしかなかつた。それに其の間だつて、別の辛《つら》さで生活の苦しみを嘗《な》めて来た晴代は、決して木山と一緒になつてふら/\遊んでゐる訳ではなかつた。金さへあれば前後の考へもなくふら/\遊んで歩く癖のついた木山の生活振りも、少しづゝ見透かされて来て、商売の手口が気にかゝり、金の出道や何かが、時に気になることもあつた。たとへば親店又は荷主へ当然支払はなければならない、どんな大切な金でも、一旦木山の懐ろへ入つたとなると、月に三つくらゐは必ず見なければ気の済まない芝居を見るとか、地廻り格になつてゐる浅草|界隈《かいわい》の待合へ入侵《いりびた》つて花を引くとか、若いものの道楽といふ道楽は大抵手を染めてゐたので、いつか其の金にも手が着かないでは済まなかつた。

     二

 晴代は芳町《よしちやう》
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