た。
 山茶花《さざんか》などの枝葉の生茂った井戸端で、子供を負《おぶ》いながら襁褓《むつき》をすすいでいる姉の姿が、垣根のうちに見られた。花畠の方で、手桶《ておけ》から柄杓《ひしゃく》で水を汲んでは植木に水をくれているのは、以前|生家《さと》の方にいた姉の婿であった。水入らずで、二人で恁《こう》して働いている姉夫婦の貧しい生活が、今朝のお島の混乱した頭脳《あたま》には可羨《うらやま》しく思われぬでもなかった。姉は自分から好きこのんで、貧しいこの植木職人と一緒になったのであった。畠には春になってから町へ持出さるべき梅や、松などがどっさり植つけられてあった。旭《あさひ》が一面にきらきらと射していた。はね釣瓶《つるべ》が、ぎーいと緩《ゆる》い音を立てて動いていた。
「長くはいませんよ、ほんの一日か二日でいいから」お島はそう言って、姉に頼んだ。そして、いきなり洗いものに手を出して、水を汲みそそいだり、絞ったりした。
「そんな事をして好いのかい。どうせお詫《わび》を入れて、此方《こっち》から帰って行くことになるんだからね」姉は手ばしこく働くお島の様子を眺めながら、子供を揺《ゆす》り揺り突立って
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