お前も忘れちゃいない筈《はず》だ」養父はねちねちした調子で、そんな事まで言出した。
 お島はつんと顔を外向《そむ》けたが、涙がほろほろと頬へ流れた。
「旧《もと》を忘れるくらいな人間なら、駄目のこった」
 お島がいらいらして、そこを立かけようとすると、養父はまた言足した。
「それで王子の方では、皆さんどんな考だったか。よもやお前に理《り》があるとは言うまいよ」
 お島は俛《うつむ》いたまま黙っていたが、気がじりじりして来て、じっとしていられなかった。
 おとらが汐《しお》を見て、用事を吩咐《いいつ》けて、そこを起《たた》してくれたので、お島は漸《やっ》と父親の傍から離れることが出来た。そして八畳の納戸《なんど》で着物を畳みつけたり、散かったそこいらを取片着けて、埃《ごみ》を掃出しているうちに、自分がひどく脅《おどか》されていたような気がして来た。
 夕方裏の畑へ出て、明朝《あした》のお汁《つゆ》の実にする菜葉《なっぱ》をつみこんで入って来ると、今し方帰ったばかりの作が、台所の次の間で、晩飯の膳に向おうとしていた。作は少し慍《おこ》ったような風で、お島の姿を見ても、声をかけようともしなか
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