の。そして、もっと綺麗に暮していけるような人でなければ、一生紙をすいたり、金の利息の勘定してるのはつくづく厭だと思いますわ」
十三
盆か正月でなければ、滅多に泊ったことのない生みの親達の家へ来て二三日たつと、直《じき》に養母が迎いに来た。
お島が盆暮に生家を訪ねる時には、砂糖袋か鮭《さけ》を提《たずさ》えて作が急度《きっと》お伴《とも》をするのであったが、この二三年商売の方を助《す》けなどするために、時には金の仕舞ってある押入や用箪笥《ようだんす》の鍵《かぎ》を委《まか》されるようになってからは、不断は仲のわるい姉や、母親の感化から、これも動《と》もすると自分に一種の軽侮《けいぶ》を持っている妹に、半衿《はんえり》や下駄や、色々の物を買って行って、お辞儀されるのを矜《ほこ》りとした。姉や妹に限らず、養家へ出入《ではいり》する人にも、お島はぱっぱと金や品物をくれてやるのが、気持が好かった。貧しい作男の哀願に、堅く財布の口を締めている養父も、傍へお島に来られて喙《くち》を容《い》れられると、因業《いんごう》を言張ってばかりもいられなかった。遊女屋から馬をひいて来る職工など
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