度も逢っているうちに、自然《ひとりで》に彼女の口から洩聞されるので、その事も気にかかっているらしかったが、やっぱり自分の手でそれをどうしようと云う気にもなれないらしかった。
「そんな事を言わずにまあ辛抱するさ」
 お島はその時の調子で、どうかすると心にもない自分の身《み》の上《うえ》談《ばなし》がはずんで、男に凭《もた》れかかるような姿態《ようす》を見せたが、聴くだけはそれでも熱心に聴いている浜屋が、何時でもそういった風の応答《うけごたえ》ばかりして笑っているのが物足りなかった。
「あの時分とは、まるで人が変ったね」お島は男の顔を眺めながら言った。
「変ったのは私ばかりじゃないよ」お島は男がそう云って、自分の丸髷姿をでも見返しているような羞恥《しゅうち》を感じて来た。
「月日がたつと誰でもこんなもんでしょうか」
 お島は二階の六畳で疲れた体を膝掛《ひざかけ》のうえに横《よこた》えている男の傍に坐って、他人行儀のような口を利いていたが、興奮の去ったあとの彼女は、長く男の傍にもいられなかった。
 部屋には薄明い電気がついていた。お島はどうしても直《ぴった》り合うことの出来なくなったような、その時の厭な心持を想出しながら、涼気《すずけ》の立って来た忙しい夕暮の町を帰って来たが、気重いような心持がして、店へ入って行くのが憚《はばか》られた。
「己《おれ》も一度その人に逢っておこう」
 小野田はお島から金を受取ると、そう云って感謝の意を表《あらわ》した。
「可《い》けない可けない」お島はそれを拒んで、「あの人は莫迦《ばか》に内気な人なんです。田舎にもあんな人があるかと思うくらい、温順《おとな》しいんですから、人に逢うのを、大変に厭がるんです」
 小野田はそれを気にもかけなかったが、やっぱりその男のことを聴きたがった。
「それは東京にも滅多にないような好い男よ」お島は笑いながら応えたが、自分にも顔の赧《あか》くなるのを禁じ得なかった。

     九十八

 避暑客などの雑沓《ざっとう》している上野の停車場《ステーション》で、お島が浜屋に別れたのは、盆少し前の或日の午後であったが、そんな人達が全く引揚げて行ってから、お島たちはまた自分の家のばたばたになっていることに気がついた。
 浜屋はお島に買せた色々の東京|土産《みやげ》などを提げこんで、パナマを前のめりに冠《かぶ》り、お島が買ってくれた草履をはいて、軽い打扮《いでたち》で汽車に乗ったのであったが、お島も絽縮緬《ろちりめん》の羽織などを着込んで、結立ての丸髷頭で来ていた。
 足音の騒々しい構内を、二人は控室を出たり入ったりして、発車時間を待っていたが、このステーションの気分に浸っていると、自然《ひとりで》に以前の自分の山の生活が想出せて来て、涙含《なみだぐ》ましいような気持になるのであった。
「どうでしょう。西洋人は活溌《かっぱつ》でいいね」
 日光へでも行くらしい、男女《おとこおんな》の外国人の綺麗《きれい》な姿が、彼等の前を横《よこぎ》って行ったとき、お島は男に別れる自分の寂しさを蹴散《けちら》すように、そう云って、嘆美の声を放った。
「どうだね、一緒に行かないか」
 浜屋は瀬戸物のような美しい皮膚に、この頃はいくらか日焦《ひやけ》がして、目の色も鋭くなっていたが、お島が暫くでも夫婦ものの旅行と見られるのが嬉しいような、目眩《まぶし》いような気持のするほど、それは様子が好かった。
 客車に乗ってからも、お島は窓の前に立って、元気よく話を交えていたが、そのうちに汽車がするする出て行った。
「そのうち景気が直ったら、一度温泉へでも来るさ」
 浜屋は窓から顔を出して、どうかすると睫毛《まつげ》をぬらしているお島に、そんな事を言っていた。
 お島はとぼとぼと構内を出て来たが、やっぱり後髪《うしろがみ》を引《ひか》るるような未練が残っていた。
 盆が来ると、お島は顧客先《とくいさき》への配りものやら、方々への支払やらで気忙《きぜわ》しいその日その日を送っていた。そして着いてから葉書をよこした浜屋のことも忘れがちでいたが、自分たちの不幸な夫婦であったことが、一層判って来たような気がした。お島は時々その事に思い耽《ふけ》っているのであったが、それを小野田に感づかれるのが、不安であった。お島は可恥《はずか》しい自分の秘密な経験を押隠すことを怠らなかった。
 暑い盛に博覧会が閉《とざ》されてから、お島たちの居周《いまわり》の町々には、急に潮がひいたように寂しさが襲って来たと同時に、二人の店にもこれまで紛らされていたような、頽廃《たいはい》の色が、まざまざと目に見えて来た。
 多くの建物の、日に日に壊されて行く上野を、店を支えるための金策の奔走などで、毎日のようにお島は通った。やがてまた持切れそうもな
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