も三月も続いた。家賃が滞ったり、順繰に時々で借りた小《ちいさ》い借金が殖《ふ》えて行ったりした。
「これじゃ全然《まるで》私達が職人のために働いてやっているようなものです」お島は遣切《やりきり》のつかなくなって来た生活の圧迫を感じて来ると、そう言って小野田を責めた。冬中|忙《せわ》しかった裁板の上が、綺麗に掃除をされて、職人の手を減した店のなかが、どうかすると吹払ったように寂しかった。
 近頃電話を借りに行くこともなくなった大家の店には、酒の空瓶《あきびん》にもう八重桜が生《い》かっているような時候であった。そこの帳場に坐っている主人から、お島たちは、二度も三度も立退《たちのき》の請求を受けた。
「洋服屋って、皆《みん》なこんなものなの。私は大変な見込ちがいをして了った」
 終《しまい》に工賃の滞っているために、身動きもできなくなって来た職人と、店頭《みせさき》へ将棋盤などを持出していた小野田の、それにも気乗がしなくなって来ると、ぽかんとして女の話などをしている暢気《のんき》そうな顔が、間がぬけたように見えたりして、一人で考え込んでいたお島はその傍へ行って、やきもきする自分を強《し》いて抑えるようにして笑いかけた。
「何《なあ》に、そうでもないよ」
 小野田は顔を顰《しか》めながら、仕事道具の饅頭《まんじゅう》を枕に寝そべって、気の長そうな応答《うけごたえ》をしていた。
 お島はのろくさいその居眠姿が癪《しゃく》にさわって来ると、そこにあった大きな型定規のような木片《きぎれ》を取って、縮毛《ちぢれげ》のいじいじした小野田の頭顱《あたま》へ投《なげ》つけないではいられなかった。
「こののろま野郎!」
 お島は血走ったような目一杯に、涙をためて、肉厚な自分の頬桁《ほおげた》を、厚い平手で打返さないではおかない小野田に喰《く》ってかかった。猛烈な立ちまわりが、二人のあいだに始まった。
 殺しても飽足りないような、暴悪な憎悪の念が、家を飛出して行く彼女の頭に湧返《わきかえ》っていた。
 暫くすると、例の女が間借をしている二階へ、お島は真蒼《まっさお》になって上って行った。
「あの男と一緒になったのが、私の間違いです。私の見損《みそこな》いです」お島は泣きながら話した。
「どうかして一人前《いちにんまえ》の人間にしてやろうと思って、方々|駈《かけ》ずりまわって、金をこしらえて店を持ったり何かしたのが、私の見込ちがいだったのです」
 お島は口惜《くや》しそうにぼろぼろ涙を流しながら言った。
「どうしても私は別れます。あの男と一緒にいたのでは、私の女が立ちません」
 荒い歔欷《すすりなき》が、いつまで経っても遏《や》まなかった。

     七十

「どうなすったね」
 脇目もふらずに、一日仕事にばかり坐っている沈みがちなその女は、惘《あき》れたような顔をして、お島が少し落着きかけて来たとき、言出した。
「貴女《あんた》はよく稼ぐというじゃないかね。どうしてそう困るね」
「私がいくら稼いだって駄目です。私はこれまで惰《なま》けるなどと云われたことのない女です」お島は涙を拭《ふ》きながら言った。
「洋服屋というものは、大変|儲《もう》かる商売だということだけれど……二人で稼いだら楽にやって行けそうなものじゃないかね」女はやっぱり仕事から全く心を離さずに笑っていた。
「それが駄目なんです。あの男に悪い病気があるんです。私は行《や》ろうと思ったら、どんな事があっても遣通《やりとお》そうって云う気象ですから、のろのろしている名古屋ものなぞと、気のあう筈《はず》がないんです」
「そんな人とどうして一緒になったね」女はねちねちした調子で言った。
 お島は「ふむ」と笑って、泣顔を背向《そむ》けたが、この女には、自分の気分がわかりそうにも思えなかった。
「でも東京というところは、気楽な処じゃないかね。私等《わしら》姑《しゅうと》さんと気が合わなんだで、恁《こう》して別れて東京へ出て来たけれど、随分辛い辛抱もして来ましたよ。今じゃ独身《ひとり》の方が気楽で大変好いわね。御亭主なんぞ一生持つまいと思っているわね」
「何を言っているんだ」と云うような顔をして、お島は碌々《ろくろく》それには耳も仮さなかった。そしてやっぱり自分一人のことに思い耽《ふけ》っていた。時々胸からせぐりあげて来る涙を、強いて圧《おし》つけようとしたが、どん底から衝動《こみあ》げて来るような悲痛な念《おもい》が、留《とめ》どもなく波だって来て為方がなかった。どこへ廻っても、誤り虐《しいた》げられて来たような自分が、可憐《いじらし》くて情《なさけ》なかった。
 小野田がのそりと入って来たときも、静に針を動かしている女の傍に、お島は坐っていた。どんよりした目には、こびり着いたような涙がまだたまっ
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