《かみ》さんの義理の弟――先代の妾《めかけ》とも婢《はした》とも知れないような或女に出来た子供――のいる四谷の方へもお島は顔出しをしなければならないように言われていたが、それはもう商売上の用事で、二度も尋ねて来たりして、大概その様子がわかっていたが、鶴さんはそのお袋が気に喰《く》わぬといって、後廻しにすることにした。
 お島はこの頃|漸《ようや》く落着いて来た丸髷に、赤いのは、道具の大きい較《やや》強味《きつみ》のある顔に移りが悪いというので、オレンジがかった色の手絡《てがら》をかけて、こってりと濃い白粉《おしろい》にいくらか荒性《あれしょう》の皮膚を塗《ぬり》つぶして、首だけ出来あがったところで、何を着て行こうかと思惑っていた。
 鶴さんは傍で、髷の型の大きすぎたり、化粧の野暮くさいのに、当惑そうな顔をしていたが、着物の柄《がら》も、鶴さんの気に入るような落着いたのは見当らなかった。
「かねのを少し出してごらん。お前に似合うのがあるかも知れない」
 鶴さんはそう言って、押入の用箪笥のなかから、じゃらじゃら鍵《かぎ》を取出して、そこへ投出《ほうりだ》した。
「でも初めていくのに、そんな物を着てなぞ行かれるものですか」
「それもそうだな」と、鶴さんは淋《さび》しそうな顔をして笑っていた。
「それにおかねさんの思いに取着《とっつ》かれでもしちゃ大変だ」お島はそう言いながら、自分の箪笥のなかを引《ひっ》くら返していた。
「でもどんな意気なものがあるんだか拝見しましょうか」
「何のかのと言っちゃ、四谷のお袋が大分持っていったからね」鶴さんは心からそのお袋を好かぬらしく言った。
「あの慾張婆《よくばりばばあ》め、これも廃《すた》れた柄《がら》だ、あれも老人《としより》じみてるといっちゃ、かねの生きてるうちから、ぽつぽつ運んでいたものさ」鶴さんはそう言いながら、さも惜しいことをしたように、舌打ばかりしていた。
 お島は錠をはずして、抽斗《ひきだし》を二つ三つぬいて、そっちこっち持あげて覗《のぞ》いていたが、お島の目には、まだそれがじみ[#「じみ」に傍点]すぎて、着てみたいと思うようなものは少かった。
「そんなに思いをかけてる人であるなら、みんなくれてお仕舞いなさいよ。その方がせいせいして、どんなに好いか知れやしない」お島は蓮葉《はすっぱ》に言って笑った。
「戯談《じょうだん》じ
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