た。
山茶花《さざんか》などの枝葉の生茂った井戸端で、子供を負《おぶ》いながら襁褓《むつき》をすすいでいる姉の姿が、垣根のうちに見られた。花畠の方で、手桶《ておけ》から柄杓《ひしゃく》で水を汲んでは植木に水をくれているのは、以前|生家《さと》の方にいた姉の婿であった。水入らずで、二人で恁《こう》して働いている姉夫婦の貧しい生活が、今朝のお島の混乱した頭脳《あたま》には可羨《うらやま》しく思われぬでもなかった。姉は自分から好きこのんで、貧しいこの植木職人と一緒になったのであった。畠には春になってから町へ持出さるべき梅や、松などがどっさり植つけられてあった。旭《あさひ》が一面にきらきらと射していた。はね釣瓶《つるべ》が、ぎーいと緩《ゆる》い音を立てて動いていた。
「長くはいませんよ、ほんの一日か二日でいいから」お島はそう言って、姉に頼んだ。そして、いきなり洗いものに手を出して、水を汲みそそいだり、絞ったりした。
「そんな事をして好いのかい。どうせお詫《わび》を入れて、此方《こっち》から帰って行くことになるんだからね」姉は手ばしこく働くお島の様子を眺めながら、子供を揺《ゆす》り揺り突立っていた。
「なに、そんな事があるもんですか。何といったって、私今度と云う今度は帰ってなんかやりませんよ」
お島は絞ったものを、片端から日当《ひあたり》のいいところへ持っていって棹《さお》にかけたりした。日光が腫《は》れただれたように目に沁込《しみこ》んで、頭痛がし出して来た。
「またお島ちゃんが逃げて来たんですよ」姉は良人《おっと》に声かけた。
良人は柄杓《ひしゃく》を持ったまま「へへ」と笑って、お島の顔を眺めていた。お島も眩《まぶ》しい目をふいて笑っていた。
二十四
晩方近くに、様子を探りかたがた、ここから幾許《いくら》もない生家《さと》を見舞った姉は、養家の方からお島を尋ねに出向いて来た人達が、その時丁度奥で父親とその話をしているところを見て帰って来た。それらの人を犒《ねぎら》うために、台所で酒の下物《さかな》の支度などをしていた母親と、姉は暫《しばら》く水口のところで立話をしてから、お島のところへ戻って来たのであった。
「島ちゃん、お前さん今のうちちょっと顔をだしといた方がいいよ」
一日痛い頭脳《あたま》をかかえて奥で寝転んでいたお島の傍へ来て、姉は説勧《とき
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