厚く報謝をするおりなどに、その頃のことを想出して、お島に語聞《かたりきか》せたが、お島はそんな事には格別の興味もなかった。
 養家へ来てからのお島は、生《うみ》の親や兄弟たちと顔を合す機会は、滅多になかった。

     三

 然《しか》し時がたつに従って、その時の事実の真相が少しずつお島の心に沁込《しみこ》むようになって来た。養家の旧《もと》を聞知っている学校友達などから、ちょいちょい聞くともなし聞齧《ききかじ》ったところによると、六部はその晩急病のために其処《そこ》で落命したのであった。そして死んだ彼の懐《ふとこ》ろに、小判の入った重い財布があった。それをそっくり養父母は自分の有《もの》にして了《しま》ったと云うのであった。お島はその説の方に、より多く真実らしいところがあると考えたが、矢張《やっぱり》好い気持がしなかった。
「言いたがるものには、何とでも言わしておくさ。お金ができると何とかかとか言いたがるものなのだよ」
 お島がその事を、私《そっ》と養母に糺《ただ》したとき、彼女はそう言って苦笑していたが、養父母に対する彼女のこれまでの心持は、段々裏切られて来た。自分の幸福にさえ黒い汚点《しみ》が出来たように思われた。そしてそれからと云うもの、出来るだけ養父母の秘密と、心の傷を劬《いたわ》りかばうようにと力《つと》めたが、どうかすると親たちから疎《うと》まれ憚《はばか》られているような気がさしてならなかった。
 六部の泊ったと云う、仏壇のある寂しい部屋を、お島は夜《よる》厠《かわや》への往来《ゆきき》に必ず通らなければならなかった。そこは畳の凸凹《でこぼこ》した、昼でも日の光の通わないような薄暗い八畳であった。夫婦はそこから一段高い次の部屋に寝ていたが、お島は大きくなってからは大抵《たいてい》勝手に近い六畳の納戸《なんど》に寝《ねか》されていた。お島はその八畳を通る度《たんび》に、そこに財布を懐ろにしたまま死んでいる六部の蒼白《あおじろ》い顔や姿が、まざまざ見えるような気がして、身うちが慄然《ぞっ》とするような事があった。夜はいつでも宵の口から臥床《ふしど》に入ることにしている父親の寝言などが、ふと寝覚《ねざめ》の耳へ入ったりすると、それが不幸な旅客の亡霊か何ぞに魘《うな》されている苦悶《くもん》の声ではないかと疑われた。
 陽気のぽかぽかする春先などでも家《
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