いのおとらの妹の片着先《かたづきさき》や、子供のおりの田舎の友達の縁づいている家などがあった。それらは皆《みん》な東京のごちゃごちゃした下町の方であった。そして誰も好い暮しをしている者はないらしかった。そして一日二日もいると、直《じき》に厭気《いやけ》がさして来た。おとら夫婦は、金ができるにつれて、それ等の人達との間に段々隔てができて、往来《ゆきき》も絶えがちになっていた。生家《さと》とも矢張《やっぱり》そうであった。
 湯から上がって来ると、おとらは東京からこてこて持って来た海苔《のり》や塩煎餅《しおせんべい》のようなものを、明《あかり》の下で亭主に見せなどしていたが、飯がすむと蚊のうるさい茶の間を離れて、直《じき》に蚊帳《かや》のなかへ入ってしまった。
 毎夜々々寝苦しいお島は、白い地面の瘟気《いきれ》の夜露に吸取られる頃まで、外へ持出した縁台に涼んでいたが、近所の娘達や若いものも、時々そこに落会った。町の若い男女の噂が賑《にぎわ》ったり、悪巫山戯《わるふざけ》で女を怒《おこ》らせたりした。
 仕舞湯《しまいゆ》をつかった作が、浴衣《ゆかた》を引かけて出て来ると、うそうそ傍へ寄って来た。
「この莫迦《ばか》また出て来た」お島は腹立しげについと其処を離れた。

     十一

 おとらと青柳との間に成立っていたお島と青柳の弟との縁談が、養父の不同意によって、立消えになった頃には、おとらも段々青柳から遠ざかっていた。一つはお島などの口から、自分と青柳との関係が、うすうす良人の耳に入ったことが、その様子で感づかれたのに厭気がさしたからであったが、一つは青柳夫婦がぐるになって、慾一方でかかっていることが余りに見えすいて来たからであった。
 お島が十七の暮から春へかけて、作の相続問題が、また養父母のあいだに持あがって来た。お島はそのことで、養父母の機嫌をそこねてから、一度生みの親達の傍へ帰っていた。お島はその頃、誰が自分の婿であるかを明白《はっきり》知らずにいた。そして婚礼支度の自分の衣裳《いしょう》などを縫いながら、時々青柳の弟のことなどを、ぼんやり考えていた。東京の学校で、機械の方をやっていたその弟と、お島はついこれまで口を利《き》いたこともなかったし、自分をどう思っているかをも知らなかったが、深川の方に勤め口が見つかってから、毎朝はやく、詰襟《つめえり》の洋服を着
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