上のことで、ちょくちょく其処へ出入しているうちに、いつか親しい間《なか》になったのだと云うことは、お島もおとらから聞かされて知っていた。その頃|痩世帯《やせじょたい》を張っていた養父は、それまで義理の母親に育てられて、不仕合せがちであったおとらと一緒になってから、二人で心を合せて一生懸命に稼いだ。その苦労をおとらは能くお島に言聞せたが、身上《しんしょう》ができてからのこの二三年のおとらの心持には、いくらか弛《たる》みができて来ていた。世間の快楽については、何もしらぬらしい養父から、少しずつ心が離れて、長いあいだの圧迫の反動が、彼女を動《と》もすると放肆《ほうし》な生活に誘出《おびきだ》そうとしていた。
お島は長いあいだ養父母の体を揉んでから、漸《やっ》と寝床につくことが出来たが、お茶屋の奥の間での、刺戟《しげき》の強い今日の男女《ふたり》の光景を思浮べつつ、直《じき》に健《すこ》やかな眠に陥ちて了った。蛙の声がうとうとと疲れた耳に聞えて、発育盛の手足が懈《だる》く熱《ほて》っていた。
翌朝《あした》も養父母は、何のこともなげな様子で働いていた。
お花を連出すときも、男女《ふたり》の遊び場所は矢張《やはり》同じお茶屋であったが、お島はお花と一緒に、浅草へ遊びにやって貰ったりした。お島はお花と俥《くるま》で上野の方から浅草へ出て往った。そして観音さまへお詣りをしたり、花屋敷へ入ったりして、※[#「※」は、「日」の下に、「咎」の「人」を「卜」に替えたものを置いた形、第3水準1−85−32に包摂、19−14]《とき》を消した。二人は手を引合って人込のなかを歩いていたが、矢張《やっぱり》心が落着かなかった。
おとらは時とすると、若い青柳の細君をつれだして、東京へ遊びに行くこともあったが、内気らしい細君は、誘わるるままに素直について往った。おとらは往返《いきかえ》りには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように挙動《ふるま》っていたが、細君は心の侮蔑を面《おもて》にも現わさず、物静かに待遇《あしら》っていた。
九
何時《いつ》の頃であったか、多分その翌年頃の夏であったろう、その年|重《おも》にお島の手に委《まか》されてあった、僅《わずか》二枚ばかりの蚕が、上蔟《じょうぞく》するに間《ま》のない或日、養父とごたごたした物言《ものいい》の揚句《あげく》、養母は着物な
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