とした。畑で桑など摘《つ》んでいると、彼はどんな遠いところで、忙《せわ》しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。
おとらが内々《ないない》お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ入浸《いりびた》っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として可也《かなり》に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。
気爽《きさく》で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して銚子《ちょうし》のお燗《かん》をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十|把《ぱ》の楮《かぞ》を漉《す》くのは、普通|一人前《いちにんまえ》の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を其方退《そっちの》けにして、傭い人を見張ったり、金の貸出方《かしだしかた》や取立方《とりたてかた》に抜目のない頭脳《あたま》を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。
お島の目にも、愛相《あいそ》のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に費《つか》った金高は、少い額ではなかった。
六
お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷《いなり》さまへ出かけたものであった。天性《うまれつき》目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明《はっきり》覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳の姪《めい》にあたる娘とも、遊び友達であった。
おとらは時には、青柳の家で、お島と対《つい》の着物をお花に拵《こしら》えるために、そこへ反物屋を呼んで、柄《がら》の品評《しなさだめ》をしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児《ふたご》としかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、偶《たま》にはお花をも誘い出し
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