つてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。これが、奇術応用の『曲芸しん粉細工』である。
稲荷魔術の発明者として有名な、神道斎狐光師は、このしん粉細工にも非常に妙を得てをり、各所で大唱采を博してゐた。狐光師の、このしん粉細工に就いて愉快な話がある。
話は、大分昔のことだが、一時狐光老が奇術師をやめて遊んでゐた時代があつた。勿論、何をしなければならないといふ身の上ではなかつたが、ねが働きものゝ彼としては、遊んで暮すといふことの方が辛かつた。その時、ふと思ひついたのはしん粉細工だつた。
『面白い、暇つぶしにひとつ、大道でしん粉細工をはじめてやれ。』
一度考へると、決断も早いがすぐ右から左へやつてしまふ気性である。で彼は、早速小さい車を註文した。そしてその車の上へ三段、段をつくつてその上へ梅だの桃だの水仙だのゝしん粉細工の花を、鉢植にして並べることにした。
道楽が半分暇つぶしが半分といふ、至極のんきな商売で、狐光老はぶら/\、雨さへ降らなければ、毎日その車をひいて家を出かけて行つた。
五月の、よく晴れたある日であつた。
横浜は野毛通り
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