」と誤植]。一国者であった事は前にも申しましたが、外国の書肆などと交渉致します時、何分遠方の事ですから色々行きちがいになる事もございますし、その上こんな事につけては万事が凝り性ですから、挿画の事やら表題の事やらで向うでは一々へルンに案内なしにきめてしまうような事もありますので、こんな時にへルンはよく怒りました。向うからの手紙を読んでから怒って烈しい返事を書きます、直ぐに郵便に出せと申します。そんな時の様子が直に分りますから『はい』と申して置いてその手紙を出さないで置きます。二三日致しますと怒りが静まってその手紙は余り烈しかったと悔むようです。『ママさん、あの手紙出しましたか』と聞きますから、態《わざ》と『はい』と申し居ります。本当に悔んで居るようですから、ヒョイと出してやりますと、大層喜んで『だから、ママさんに限る』などと申して、やや穏かな文句に書き改めて出したりしたようでございます。
 活溌な婦人よりも優しい淑《しとや》かな女が好きでした。眼なども西洋人のように上向きでなく、下向きに見て居るのを好みました。観音様とか、地蔵様とかあのような眼が好きでございました。私共が写真をとろうとす
前へ 次へ
全64ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小泉 節子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング