席にも度々出ましたし、自宅にも折々学校の先生方を三四名も招きまして、御馳走をして、色々昔話や、流行歌を聞いて興じていました。日本服を好きまして、羽織袴で年始の礼に廻り、知事の宅で昔風の式で礼を受けて喜んだ事もございました。
 松江に参りまして、当分材木町の宿屋に泊りました。しかし、暫らくで急いで他に転居する事になりました。事情は外にもあったでしょうが、重なる原因は、宿の小さい娘が眼病を煩っていましたのを気の毒に思って、早く病院に入れて治療するようにと親に頼みましたが、宿の主人は唯はいはいとばかり云って延引していましたので『珍らしい不人情者、親の心ありません』と云って、大層怒ってそこを出たのでした。それから末次本町と申すところのある物もちの離れ座敷に移りました。しかし『娘少しの罪ありません、唯気の毒です』と云って、自分で医者にかけて、全快させてやりました。自分があの通り眼が悪かったものですから、眼は大層大切に致しまして、長男の生れる時でも『よい眼をもってこの世に来て下さい』と云って大心配でした。眼の悪い人にひどく同情致しました。宅の書生さんが書物や新聞を下に置いて俯して読んでいましても直
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