くなりました。この書物の出版は、余程待ちかねて、死ぬ少し前に、『今あの「神国日本」の活字を組む音がカチカチと聞えます』と云って、でき上るのを楽しみにしていましたが、それを見ずに、亡くなりましたのはかえすがえす残念でございます。
 ペンを取って書いています時は、眼を紙につけて、えらい勢でございます。こんな時には呼んでも分りませんし、何があっても少しも他には動きませんでした。あのような神経の鋭い人でありながら、全く無頓着で感じない時があるのです。
 ある夜十一時頃に、階段の戸を開けると、ひどい油煙の臭が致します。驚いてふすまを開けますと、ランプの心が多く出て居て、ぽっぽっと黒煙が立ち上って、室内が煙で暗くなっています。息ができぬようですのに、知らないで一所懸命に書いて居るのです。私は急いで障子を明け放って、空気を入れなどして、『パパさん、あなたランプに火が入って居るのを知らないで、あぶないでしたねー』と注意しますと『あゝ、私なんぼ馬鹿でしたねー』と申しました。それで常には鼻の神経は鋭い人でした。
 『パパ、カムダウン、サッパー、イズ、レディ』と三人の子供が上り段のところから、声を揃えて案内
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