んで少し踊るようにして廊下を散歩して居る事もありますし、又独りで笑って居る事もあります。私が聞きつけて『パパさん何面白い事ありますか』と尋ねますと、こらえていたのが、破れたように大きい声になって大笑など致します。涙をこぼしてママさんママさんと云って笑うのです。これは新聞にあったおかしかった事や、私の話した事などを思い出してであります。
 あのように考え込んだり、怪談好きである事から、常談など申さぬだろうと思われるようですけれども、折々上品な滑稽を申しました。『いつも先生に遇うと、何か一つ常談の出ない事はない』と申された方がございました。
 面白い時には、世界中が面白く、悲しい時には世界中が悲しい、と云う風でございました。怪談の時でも、何の時でも、そうでしたが、もうその世界に入り、その人物になってしまうのでございました。話を聞いて感ずると、顔色から眼の色まで変るのでした。自分でもよく、何々の世界と、よく世界と云う言葉を申しました。
 ヘルンの平常の話は、女のような優しい声でした。笑い方なども優しいのでしたが、しかし、ひどい意気込みになる人でしたから、優しい話のうちに、えらい勢で驚くように力をこめて云う事がありました。
 笑う時にも二つあります。一つは優しい笑方で、一つは何もかも打忘れて笑うのです。この笑は一家中皆笑わせる面白そうな笑で、女中までが貰い笑を致しました。大学を止めた当時、日本に駐在でしたマクドーナルドさんが横浜から毎日曜毎に御出でになりました時などは、書斎からへルンのこの笑声が致しますので、家内中どんなに貰い笑を致したか知れません。
 書斎のテーブルの上に、法螺貝が置いてありました。私が江の島に子供を連れて参りました時、大層大きいのを、おみやげに買って帰ったのでございます。ヘルンがこれを吹きますと、太い好い音が出ました。『私の肺が強いから、このような音』といって喜びました。『面白い音です』と云って、頬をふくらまして、面白がって吹きました。それから煙草の火のなくなった時に、この法螺貝を吹くと云う約束を致しました。火がないと、これとポオー、ウオーと云うように、大きく波をうたせるようにして、長く吹くのです。そう致しますと、台所までも聞えるのです。内を極静かにして、コットリとも音をさせぬようにして居るところです。そこへこの法螺貝の音です。夜などは殊に面白いのでございます。私は煙草の火は絶やさないように、注意をしていましたが、自分で吹きたいものですから、少しでも消えると直ぐ喜んで吹きました。如何に面白いと云うので、書斎の近くに持って参って居りましても、吹いて居るのでございます。この音が致しますと、女中までが『それ、貝がなります』と云って笑いました。

 よく出来た物などを見ますとひどくそれに感じまして、賞めるのでございます。上野の絵の展覧会にはよく二人で参りました。書家の名など少しも頓着しないです。絵が気に入りますと、金がいくら高くても、安い安いと申すのです。『あなた、あの絵どう思いますか』と申しますから[#「申しますから」は底本では「申ますしから」と誤植]『おねだん余り高いですね』と私は申します。金に頓着なく買おう買おうとするのを、少し恐れてこう返事を致すのでございます。すると『ノウ、私金の話でないです。あの絵の話です。あなた、よいと思いますか』『美しい、よい絵と思います』と申しますと『あなた、よいと思いますならば買いましょう。この価まだ安いです。もう少し出しましょう』と云うのです。よいとなると価よりも沢山、金をやりたがったのです。そして早く早くと云って、大急ぎで約定済の札をはって貰いました。
 京都を二人で見物して歩きました時に、智恩院とか、銀閣寺とか、金閣寺とかに廻りました。五銭十銭という拝観料が大概きまっています。ヘルンは自分で気に入りますと、五十銭とか一円とか出そうと云うのです。そんな事には及びません、かえっておかしいと申しましても『ノウ、ノウ、私恥じます』と申しまして、聞き入れません。お寺でも変な顔して、御名前はなどと聞くのですが、勿論申した事はございません。
 松江にいました頃、あるお寺へ散歩致しまして、ここで小さい石地蔵を見て、大層気に入りまして、これは誰の作かと寺で尋ねますと、荒川と申す人の作と云う事が分りました。この人は評判の偏人でございましたが、腕は大層確かであったそうです。学問のない、欲のない、いつも貧乏をしていながら、物を頼まれても二年も三年もかかっても、こしらえてくれない老人でございました。ヘルンは面白いと云うので、大きい酒樽を三度まで進物に致しました。それから宅に呼びまして御馳走をしたり、自分でその汚い家を訪ねて話など致しました。彫刻を頼んで、そんなに要らないと云うのを沢山にやりました。しかし、宅
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